西富 文博 ウビンの森 「 最終回」

 

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【筆者プロフィール】

 

 西富 文博 (にしとみ ふみひろ)

 

1937年7月14日、熊本市健軍町新外に生まれる。
1954年9月アメリカ丸にて渡伯、同11月1日着伯。
パラ―州モンテアレグレ移住地に辻計画移民として入植。
二年後にサンパウロ州ミランドポリス市へ移転。
1958年にアリアンサ移住地の産業組合の従業員として勤める。
1976年9月車の事故で退職。現在に至る。
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  両手を合わせて一歩一歩家を後にした。トラックのまわりに十人以上の人だかりがしていて、母や義兄達と別れを惜しんでいる。俺は横からトラックの荷台にかじりついて、足を上げるが、その足が上がらないでいると、誰かが走り寄って来て、担ぎ上げてくれた。そして荷台の中心まで四つんばいになってゆき、トウモロコシの袋の上に横になった。皆が心配そうに「頑張っていくんだぞ!」と叫んでくれた。

 その時、誰か知らぬ人が声をかけてきた。
「あなたが西富さんですか。私はベルテーラに住んでる者ですが、この家を誰かに売りましたか。もし、売っていないとすれば、私に分けて頂きたいのです」
「そうですか、この家は捨てていくもですから、好きなようにして下さい」
「いや、それは困るのです。だから私に売ったという証拠を残すために、この紙にサインしていただきたいので、文句は書いてあるので読んで下さい」
「わかりました。暗くなって読めませんので、代読してくれますか」
 屋根の瓦が欲しくてやってきたとかで、あとは簡単な文句を読んでくれた。それで俺は言った。「あの家の中に、クワチーと戦って、ズタズタに腹を破られた犬がいます。お願いだから一撃のもとに殺して、どうか穴を掘って埋めてやってほしいのですが、お願いできるでしょうか」「私は駄目だが、息子がいるから、きっとやらせます。安心して旅行して下さい」俺は、その最後の言葉を聞いて安心したのか、意識朦朧となって眠ってしまった。いくらかの現金をくれたのだが覚えてもいない。

 起こされて気付いた時は、モンテアレグレの港の桟橋の上で、四百トンばかりの船が横付けにされていた。それにトウモロコシとか落花生や豆類を積み替えているのだった。よく見ると船長も船主も日本人だったので吃驚した。サンタレンへ行くというので、何とか乗り換えて、船上に吊るしたハンモックに寝ていると起こされた。
「あんた、熱病に罹っているというが、船室が一つ空いているから、そこに行って休みなさい。お母さんも一緒でいいんだよ」この船長の言葉に好意を感じ、船の小部屋に入って寝かしてもらった。熱は上がりもせず下がりもせずの状態だが、体力は落ちているのでフラフラである。
 そして一晩、ジーゼル・エンジンの慣れない音に悩まされて、次の朝八時頃に、船はサンタレン港に着いた。

その時、一人の日系女性が、俺を訪ねて船室までやってきた。一度も会ったことない、見知らぬ女性である。容姿は熱帯女性が好き好んで着る派手な模様のワンピースを着ていた。それがとても似合う美人で三十歳位に見えた。
「あなたが西富さんですか。熱が出て困っているとのことですが、まだ、熱はありますか」
「ええ、まだあって、歩く力もなくて・・・」
「それじゃ、これから私が連れて行ってあげますから、お医者さんに行きましょう。早く支度をして下さい」誰よりも先に船から降ろされて、彼女の車に俺と母を乗せて町の中を走った。荷物は坂口に任せてあるが、一応、船から降ろして近くの家の陰で待っててくれと言っておいた。

 それから間もなく、五十歳前後と思われるブラジル人医師の診断を受けて、注射と薬品の処方、母がいくら払ったか知らないが、港へ再び連れていかれ降ろされた。
「よいですか。私がどこか安い家を借りてあげるから、ここで待っていなさい」
 中々、手順よくおれたちの世話をしてくれるこの女性はいったい何者だろうか。誰かに頼まれたというのならわかるが、そんな筈もないし、不思議な恩人となってしまった。
 そしてそれから二時間ばかり待っていると、一台の軽トラックがやってきて、「この車に皆載せて一緒に、家までいきましょう」とのことで吃驚する。アマゾン川から五百メートル位の、ひっそりした町外れで、静かなところのレンガ建ての家の前で、車は停まった。
「この家を一か月貨してくれたので安心して住みなさい。カギはこれです」
「ええ、あの人は忙しい人だから、もう来ないでしょう。うん、名前はね、カズエといってね、警察署長の奥さんだし、副市長だからね、忙しいのは当たり前だ」
トラックの運転手はそう言ってから、自分の住所を教えて帰って行った。
 なるほど、そうだったのか。それであの女性の正体が分かったのである。しかし、そのカズエ女史が訪れない限り、再開してお礼を述べることが出来ない。

 この借りた家の応接間に蒲団を敷き、その上にノック・ダウンだ。家には台所や便所は会っても、シャワーを浴びるところがない。だから、どこかの家に行って借りるか、暗くなってから、アマゾン河の岸で、行水するか、女子供には穏やかでない生活が始まった。熱が少し下がったとみえ、気分が楽になり出した。夕食の支度をする前に、母と坂口が店を探しに出かけて行って、やがて帰って来て言うには、この家から二百メートルほど行ったところにバールがあり、その横に小屋があって中にショベイロがあり、よかったら、それを使いなさいとのことで、喜んで帰ってきた。ショベイロと言っても、このアマゾン地方ではお湯なんか使わず、ただの水である。これで万端大助かりだ。暑いからじっと寝ていると汗が出る。

 こうして少しずつこの町の様子が分かり、乗用車とかオートバイなんかほとんどない時代だから、町の真ん中を歩いていても、事故なんか起らない。とはいっても中心街は別だが、薬のおかげで熱が下がって、フラフラと家の中で歩いていた。坂口の仕事は港へ行って船の出入りを調べることで、これから毎日その仕事が続くことだろう。 
 久しぶりにシャワーを浴びて、坂口と二人でアマゾン河の浅い岸へ行ってみた。街の明かりが、遠く近くから水面に映えて、南国の夜って素敵だなと思った。美女でも近くにいたら、それこそロマンチックな河辺である。

 浅瀬がずっと。百メートルばかりあって、昼間は婦人達が洗濯に来るとみえて、洗濯台まである。世界最大のアマゾン河、向こう岸ははるか五、六キロ先に小さく見えて、星空の彼方に眠っている。水面に映える町の灯りと空一杯に拡がって見える星空のコントラストは、実に、美しいし、生きていて味わえる喜びが何とも言えない。
  二人はそれから帰り道についた。バールの横で坂口と別れて、暇つぶしと思ってバールへ入った。二十歳前後の娘がカウンターに立っていて、俺が入って行ったので、珍しそうな顔をしている。美人とは言えないが、普通の娘の顔で、少し痩せ形だが着ているワンピースが似合う。
「ガラナを一本ください」
何かを感じたのか、にっこり笑って、冷たいガラナをだして呉れた。
「あなたは、どこから来ている人ですか」
「僕はモンテ・アレグレから来た。ショベイロを借りに来る母親の息子だよ。これからお世話になります」
「水は幾らでもありますから、好きな様に使って下さい。でも、どこかへ行ってたんですか」
「いや、そうじゃなくて、病気して寝ていたんだよ」
「それは大変だったね。もうよくなったのね」
「何とかよくなって、初めてアマゾン河まで行水をしに行って来たよ」
「そうなの、これからはこの家のを使いなさいよ」
それから少し話をして、「私の名は、コンセイソン」と言った。お客は店の中にはいなくて、外の大木の陰に二つのテーブルが置いてあり、四、五人の男達がピンガを酌み交わしながら、雑談にふけっている。「明日、又、来るよ」と言ってガラナの代金を払うと外へ出た。

 次の日も、アマゾン河で行水したり泳いだり、存分に体を洗ってから、コンセイソンのバールへ行ってみる。今夜も、お客が二人ばかり来て、外で飲んでいる。実に、長閑な田舎の風景である。そしてコンセイソンは、今夜も笑顔を見せて、俺を迎えてくれた。香水の匂いが何とも甘くていい。
「今夜はちょっと変わった事で来たんだよ」
「変わったことって、なんでしょう」
「それはね、これなんだよ」
といって、スボンのポケットからハーモニカを出して見せてやる。コンセイソンはそれをよく見てから、手にとってみている。
「これは何ですか」
 「ドナウ川のさざ波」をゆっくり吹きだした。静かな夜にもってこいの曲である。するとどうだろう。コンセイソンの父と母が奥から出てきて、立ったまま笑顔で聞いている。外で飲んでいた客が店に入り込んできて聞き出した。ワルツだろうが、タンゴだろうが、ようし、ルンバからサンバまで一曲ずつ吹いてやる。移住地でのバイレで吹き慣れているから楽だった。そして向こうで覚えた「ブラジル四百年祭祭典」を吹いて止めた。

 ブラジル人は音楽のあるところ、どんな人でも聞きに集まる。そして人々の心を和ませて、陽気な国民となっていく。
 コンセイソンは、この日本製のハーモニカの音色が、こんなに良いものだったのかと思っていたのかもしれない。うっとりと聞いていたのが、
「もっと吹いてよ。すごいじゃないの」
「そうしてやりたいけど、病気が、まだ完全に治ってないからね。今夜はこれくらいで勘弁してほしい」
「残念だけど仕方がないわ。お父さんもお母さんも、せっかく聞きに来たのに・・・」
 外にも五・六人の人が集まっていて、何かボソボソと雑談しているみたいだった。

 コンセイソンは、俺がどんな奴だか知りたくて、過去の事を次から次へと聞き出した。隠すこともないので、作り話もいやだから、ありのままを言って聞かせた。どんなところで生まれて、どんな生活をしていて、そして恋人はいるのかとまで、聞くので、キリがない。だから、ざっくばらんに水泳、陸上、野球、フットボール、何でもやったよと言って、恋人がいなかったのは、後で変な事にでもなったら困るのでね、といってやる。そして長居は無用と思って立ち上がった。十五夜が近いと見えて、外は月と星のセレナーデである。

 次の日も、河からの帰りに、バールに寄ってみた。相変わらず笑顔で迎えてくれたが、今夜のコンセイソンの顔色は少し違っていた。
「あのね。明後日の土曜日の夜に、町の劇場へサンパウロから楽団が来て、演劇やショーをやるのよ。だから、私と一緒に見にいきましょうよ、ね」
「それはよいが、その前に船さえ来なきゃよいがね。今のところ何とも言えないよ」
「それまで船が来ないように祈ってますわ」

 若い娘というのは、こんなに勝手な事が言えて、満足してりゃ、いいんだからか大したものだ。そろそろ帰らないと思っているが、なんだかんだと言って帰したがらないのが、南国女性の旺盛な熱情なのだろう。

 しかし、俺は、その怪しい彼女の誘惑じみた言葉に、惑わされることなく帰ったのである。

 それは、次の日に、この町がどんな町であるかを探検してみようと思っていたからである。朝から、それは実現できず、午後から町の南方の散歩だ。どうしてどうして、あまり大きな町ではないと、軽く見ていたのに、このアマゾン河のほとりに大都会建設の計画が着々と進められているではないか。町の南方一キロ前後の丘の上に、川が流れて、その水が丘の中腹にある大きな池に入り込む。だから町全体に水道が満たされている。その川の上流には、もっと高い崖があって、三十メートルばかりの滝が凄いしぶきを立てて落下している。俺は、その近くから西側になる右へ曲がった。すると色とりどりの美しい草花が百メートルも西方へ、金網を張られた中に咲き乱れて見事である。

 入口に近づいて見ると、一人の中年の男が出てきたので何をする所かと聞いてみた。
「ここは州立の植物園でね。見れば分かるはずだが、このアマゾン地方に適した植物の研究のために、色々と植えたり、接ぎ木をしたりする所です。よかったら見ていって下さい。日本人の見学とは、この植物圏始まって以来最初の人ですよ」
「それは光栄ですが、僕はサンパウロ州へ向かって移転中の身です」

 そう言ってから、では、少しだけ見学させてもらいますかと、言って入って行った。奥にゆくに従って果物や植林があって、野菜までと賑やかだ。水があって化学肥料でも入れてあるのだろうか。これといって珍奇なものはなかったが、一メートルにも及ぶという豆の莢は珍しいと思った。ゴムやカカオ、そしてジャッカやジャボチカーバ等もあったが、旅行中の身には不要で、二十分位いてそこを出た。その奥の左側には、飛行場ができつつあり、その横には軍隊の駐屯地もあるらしいが、見に行く気がしなかった。

 この位の見学で、大体、町の様子が分かり、これから二十年後にはかなりの都市に成長することを願って家へ帰った。 家では六人全員が健康であるから心配は要らぬが、俺の病気は何だったのか、まるで嘘のように治ったことが不思議である。医者は何も言わなかったし、病名さえ判らずに終わった。

 演劇を見に行くのを母にだけ告げて家を出た。街並みのどこからか夕餉の匂いがして、異国にいても、やはり郷愁を感じて妙だ。
  コンセイソンのバールは閉まっているので、その右側を母屋へ回ってみた。犬がいても吠えないが、尾を激しく振るので、コンセイソンが出てきた。何とまあ、これがあの女だろうかと、目を疑いたくなるほど変身しているではないか。黒髪を小高く盛り上げて、目張りが少しきつい、そして口紅を塗って、色白く化粧した姿は、これまでの彼女のイメージと程遠いものに思えた。どこかを触ったら崩れ落ちるのではないかと思う程の変身である。また着ている着物がとても素敵で、白のドレスに、菊模様のような薄い絵が描かれて素晴らしく映えて美しい。何処も彼処も即席で作り上げられた妖しい女と化した。

 さて、支度ができたと見えて、コンセイソンが出てきて、合図したので、二人は並んで道に出た。百メートルばかり進んだ時に、彼女が立ち止まって、ニコニコ笑っているので、そっちを向くと、何と彼女の父母が後方百メートルぐらいの所を並んできているのだった。してやられたと思ったが、後の祭り、わしたちの前を行く二人は許し合った仲で、わが家を継ぐのだと見てくれ、といわんばかりの道行きの場を演出しているみたいで、気味が悪い。ようし、なるようになれ。これが最初で最後にしてやるから、母が知ったら笑うだろうが・・・。
 店が立ち並んだ大通りの向こうに公園があって、タクシーが四台も並んでいるのを見てびっくりした。こんな田舎町にと。だが、もっと行くと広い市街となり、そのド真ん中に劇場はあった。そして、もう五、六〇人ばかりの観客が立ち並んでいて、俺達二人をかわるがわる見つめている。最初から予想していたので慌てることはないが、日本人は非常に大切にされる国民だから、笑顔で答えてみせる。

 入場が始まった。劇場の内部は薄暗くて、二人は手を繋いで入るより他なく、初めて握ったコンセイソンの手は柔らかく、そして強く握り返してきた。劇場は広く大きくて、二階まであるが、俺達は一階の真ん中あたりに行って座った。彼女の両親も並んで座るが、舞台より少しずつ登り坂になっていて本格的な劇場だ。アマゾンのど真ん中にこんな素晴らしい劇場があるとは驚きである。

 もう彼女は腕を絡ませてきて恥ずかしくないのか、いよいよ顔まで間近に接近させる。予期していた事とはいえ、南国娘の情熱は燃え出したら抑制が効かなくなる。生きている者の本能だろうか。

 いよいよ開演である。サンバの曲が流れ、半裸体の踊り子二人が出てスタートを切ったら、司会者が飛び出してきて、公演の概要を述べる。それから二人の喜劇役者が早口で喋り出したので、俺にはさっぱりわからず、見ている様子をして目を閉じた。これから先は、ドサ廻りの役者のやる事だと思うと、時の過ぎ行くのを待つより他にない。それでも目を閉じたまま聞いている。

 その時だった。ジャポネースが何とか言っていたよと、言うのが聞こえたので、パッと目を開けた。するとどうだろう。観客は一斉に俺の方を向くではないか。ここに一人の日本人がいるという事をちゃんと皆、知っていたのである。演技の内容がどうであるか、俺にはわからぬ早口だったから平気である。悪口ではなかったみたいでホッとした。

 その後は、歌手が出て歌ったり、劇をやったり、手品をやったりして終わった。拍手が止んで、幕が下りると皆一斉に立ち上がった。

 

 同じ道を帰るだけであるが、違うところはコンセイソンの左手が、俺の右腕に絡み付いて離さないのである。これじゃもう完全に惚れられた形だ。悪い気がするはずはないが、もうすぐお別れの時が来るので、未練となるものを作り残してはならない、名残りとはこんなものか。

  彼女の家に着いた。家の中へ入ってくれと言うが、もう遅いから帰るというと、それじゃ、ここで少し話しをしましょうと、老夫妻が入った戸口の石段に座った。もう十一時近くの夜中だ。

「私を好きじゃないの」
「そうじゃない。好きだよ」
「それじゃ、私を好きなように、できないの」
「君も知っている通り、僕は、いま旅行中の身だ。それに母もいるし、姉達一家をいれて五人の面倒をみてやらないといけないのでね。今、俺の住む家も土地も仕事もないから、どうにもならないよ」
「それじゃ、どうすればいいの」
「待つことだ。僕達はまだ若い、向こうへ着いて仕事を探して、落ち着いたら、手紙を書いて呼び寄せれるじゃないか。だから、君の宛名が欲しいよ」
「仕方がないわ。今、紙に書いてきてあげるわ」
彼女が立ち上がって、家の中へ行ったので、今夜はこれで何とかなると思う。やがて紙切れに名前と住所を書いたものを俺に差し出した。「ありがとう、これでOKだ。今夜はもう遅いから帰るけど、お父さんやお母さんを大切にしてね」
「もう帰るの。もっとゆっくりしていてよ」
「明日、又来るよ。今夜は楽しかった。では」
立ち上がると、彼女の手を放して、そこを去った。一線を越さないためには苦しい工夫だった。

 次の日、義兄の坂口が港の船着き場に行って、大型の貨物船が横付けされているのを見て、大急ぎで帰ってきた。それを確かめるために港町の船会社の事務所へ行く。
「あの船は、今朝、着いた、夕方五時には出航するが、リオ・デ・ジャネイロまでしか行かない」
「俺達、五人が乗れる場所はありますか」
「貨物船だから甲板の上しかないが、ハンモックをつって寝れますよ。皆。だから三分の二の値段」
「よし仕方がない、大人四人で、子供一人分を払う」

 いよいよ待望の船出となるが、乗船してみなけりゃ何とも言えない。そしてあのトラックの運ちゃんがいつもいるという公園に行ってみた。彼の顔を覚えていたのですぐ見つかった。夕方の四時に来てくれるかというと、間違いなく行くからとの返事だし、値段も成立して万事うまくいった。

 その足で俺は、一人コンセイソンのバールへ寄ってみる。忙しそうだったが、すぐ応対してくれた。
「大きな船が港についていて、夕方五時に出港するそうだ。もちろん、その船でいくつもりで五人分の代金も支払って来たよ。いよいよ君ともこれでお別れだ、向うへ着いたら、必ず手紙を書くから心配しないでほしい」
「私、昨夜から眠れなかったわ。寂しくてね。でも、これで終わりじゃないのだと思うようにしたの。辛いけど元気でいてね」客がいたので、手を握ることもできず、これがコンセイソンと交わした最後の言葉だった。

 家に帰ると昼食が待っていた。それが済むと荷造りも簡単で、ハンモック二つを別の袋に入れて終わりだ。母は坂口とコンセイソンのバールへシャワーを浴びたお礼に、日本から持って来たタオルを渡して帰ってきた。そして、まだ時間が残っているので、ハンモックの上に昼寝をして待っていた。

 午後四時前にトラックが来て停まった。さっそく荷を積み込んでから、隣の家に行き、誰が家主か分からないので、お礼を預かってもらった。そして港の船着場へ直行した。やはり何人かの乗船者がいると見えて賑やかだ。いわれた通りに甲板の上だが、そこはテントが張ってあり、雨が降っても大丈夫で安心した。上流から乗船してきた客を入れると七、八十名はいるし、荷物も積み重ねて小高く森上がっている。そこへ俺達の荷物を横付けして、姉と赤ん坊が座れるようにしてやった。どの人達も奥の移住地を捨てて逃げ出したのか、それとも、やむなきことが起きて、故郷へ帰っているのか、ほとんどの人が家族連れである。

 船名は、カンポス・サーレスと言って、古い船だが六千トンはあると思う。奥地のマナウスから木材やジュートの麻、米、トウモロコシ、豆、煙草の葉などを積んでいる。

 ドラが鳴って、汽笛が鳴るとエンジンが始動し始めた。俺はデッキの上で、見送人に手を振ってみせる。もしかしてコンセイソンが、あれそうかも知れない。港からちょっと離れた倉庫の横から半身を出したり隠れたりしているのだ。そして、また、泣いているようにも見える。そうだったのか、見送りに来てくれたのか、俺は手を大きく振ってやる。冷たい野郎だろうが、これしかできなかった俺だ。勘弁してくれよ、と思っているうちに、船は本流の方向へ向きを変えた。

 港も町も後方に移って、夕日の下に光っている。ガラガラと音がするので、よく見ると甲板の両側に、とても大きな鎖が二十メートル以上もあって、それが後方にある舵を回すので吃驚した。なんと旧式な船ではないか。どうせポルトガル当たりの古い船を安く買ってきて、使っているのだろう。

 そして二時間ばかり進んだ。夕日が沈む寸前に、船があの懐かしいモンテ・アレグレ港の沖を通過した。小高い丘の上下に町があるから間違いはない。その右の方角に広がる大密林こそ、俺が住んだ森だ。ジョンよ、あの世で俺を恨んでいるだろうな。お前の最後を見てやれなかったことを勘弁してくれ。俺はお前の分まで長生きしてやるぜ。そしてあの別れた日を命日として拝んでやるよ。さよなら、さよなら。

 涙が次から次へと、流れてどうにもならなかった。  (おわり)

 

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 この記事は「のうそん267号」(日伯農村文化振興会発刊)より、同誌と筆者の許可を得て転載しました。(Trabras )  

 

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