西富 文博 ウビンの森  「 ターザンの出現」

 

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【筆者プロフィール】

 

 西富 文博 (にしとみ ふみひろ)

 

1937年7月14日、熊本市健軍町新外に生まれる。
1954年9月アメリカ丸にて渡伯、同11月1日着伯。
パラ―州モンテアレグレ移住地に辻計画移民として入植。
二年後にサンパウロ州ミランドポリス市へ移転。
1958年にアリアンサ移住地の産業組合の従業員として勤める。
1976年9月車の事故で退職。現在に至る。
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 この移住地に将来性はないと見た。学校や病院も近くになければ、産物を運ぶ車がこの奥地まで入ってこれないのが悩みの種である。ましてや、町に住む商人は勝手な値段で買うから、移住者泣かせの悲惨な現状だ。もしも、緊急に医者が必要となった場合、とてもじゃないが間に合わないし、病気や事故は、容赦なく平和な家庭を襲ってくる。

 それを知って、もう何家族の人達が、この移住地から逃げ出している。義兄の坂口を入れて我が家でも、もう我慢の限界に達して、相談を繰り替えした。その答えはいつも同じ結果だ。よし、今のうちなら、まだ手持ちの資金もある。手紙を書いてみよう。

 それは日本を出発するときに、同じ村から三十年以上も前に、ブラジルはサンパウロ州のミランドポリスという町に移住している坂本正則という人の住所を貰っていたので、その人宛てに手紙を書いて出してみた。何はともあれ、わが家一家は、この一通の手紙が届くかどうかも分からずに、儚い望みと夢を託していたのである。ところがである。なんと十日ばかりしたある日に、その返事が届いたから、驚くやら喜ぶやらで大騒ぎだった。

「懐かしい西富家の皆さん。お手紙を頂いてびっくりいたして居ります。アマゾンの密林の中に移住して来られたとは驚きです。病院も学校も車もない土地では困るでしょう。こちらは小さな町の近くに住んでおりますが、欲しいものは何でも手に入りますし、日本人だって沢山おりますから、住む家も仕事だってあります。こちらにおいでなさい。長い旅になるでしょうが、何とかなるでしょうから心配しないで来て下さい」

 この様な内容のうれしい返事だった。皆んなで何回も読み返してみたりした。よし、行くか。そうだと決めたら、なるべく早い方がよい。だが、又、向こうに行くルートのことだ。陸地をバスかトラックで行くのか、それとも船で行くのか、研究する必要があった。しかし、子供連れの旅には、船の方が何かと便利であることが分かった。三歳になる男の子は日本生まれ、一歳近くになる女の子は、このウビンの森で生まれている。この二人の子を育てる姉と坂口は仕事に追われる日が多い。それを何時も俺と母が助け合っているから姉達も安心していた。

 坂口は、何ごとにも判断する能力がとろいので、俺がさばいてやらないと進まないのだった。だからこの旅のルートも船旅にすることに俺が決めた。
 そうと、決まれば、植付けをやめて、身の回りの整理をする必要があった。

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 ところが二キロも離れている第一移住地の曽木氏が、一週間ばかりの日程で落花生の収穫を手伝ってくれないかとの事。乗り気はなかったが、いろいろとお世話になった関係上、坂口と二人で、泊まり掛けで行くことになった。

 落花生には、二種類あって、せいぜい四十センチ前後しか伸びない株と、一米にも伸びる株があって、曽木氏宅のはこの大きく伸びる落花生だから、大変な作業となった。馬やトラクターで耕してから取れば楽だが、そんなものなんてありっこない森の奥の仕事だ。しかも収穫の時期を過ぎていたので、用心して引き抜いても、半分近くが千切れて土の中に残る。大きなペネイラを三本の適当な長さの丸太の木を切って来て、それにぶら下げて吊るす。幸い砂地だったから、スコップですくってはペネイラに入れて振い落す。言うのは簡単だが実際は難しく、一日中やらせられたらノックダウンとなる。土の埃をかぶって、誰だか分らぬ顔になる。ペネイラをぶらさげている木の棒だって時には移動させてやらなくてはならない。

 俺と坂口と曽木宅の次男タケシ君(十六歳位)が懸命に働いている午後五時頃だったろうか。二百米ばかり西の方角より、一人の若い女性が走ってくるのが見えた。畑の中を真っすぐ走って来るではないか。よく見ると学校の先生であった。
「大変なことが起きそうです。生徒が帰りかけたのですが、逃げて帰ってきました。森の中の道に、沢山の猪の群れが出ていて、帰れないでいます。何とかしてやらないと、学校までやってきそうです」
 これは困ったことになったわいと思った。
「はい、わかりました。何とかしましょう」
俺達は仕事どころではなく、仕事はそのままにして「おい、タケシ君、鉄砲と弾を大急ぎで持って来てくれ。それから犬も連れてね」

 俺と坂口はファッコン(山刀)を持って帰って行く先生の後を追う。森の中の道といえば我が家へ通じる道である。学校の横でタケシ君が来るのを待っているとすぐやって来た。彼の鉄砲とファッコンを取り替えて、森の中を急ぐ。生徒達は窓の中から覗いていたようだ。百米、走っては止まり、また百米、走って、森の中の異常がないか、そして足跡を調べたりで忙しい

 そして、もう少し走りかけた時だった。道の両側に異常を感じて止ると、いわゆる両側の森の中は猪だらけだ、「へっへっへ、迷わず成仏してくれよ」「ダーン!」一番近くにいる奴だった。撃たれた猪はもんどりうって転げまわっている。俺は急いで、次の弾を入れて、ガチガチと歯を鳴らして逃げ出した奴等の後を追いながら、もう一発。「オーイ。これを道まで引き出しておいてくれよ」二頭目を撃ったので、もう一頭だと奥へ走り込んで行った時である。後方の森の中から「オーイ、西富さん、早く来てくれ、ここにエライやつがいるんだよ」

 何事が起きたんだろう。鉄砲を持っていない二人にもしもの事が起きたら大変だ。だから猪を追うのを止めて、急いで二人のいる大木の根元まで走り寄った。犬二匹も怖がっているようだった。

「ホラ、あの木の下にいる奴だよ。こちらへ飛びかかってきては困る。怖くて怖くて」
「彼はこの群れの大将だぜ。胸に白いタスキをかけているだろう、すごく大きな」
十五米程先の藪の中に、じっと立ってこちらを窺っているやつの胸に照準を合わせて、ダーン、三度目の撃音であった。もんどりうって、倒れると思った猪を見ると、こちらに向かって突進してきた。さすがに相手も百戦錬磨の強者、これまで聞いたこともない見たこともない大音響を発する鉄砲を持った人間共に飛び掛かれず、吃驚して見ている俺達三人と二匹の犬がいる周りをぐるりと、ひとまわりして、元の場所に戻ると同じ姿勢で見つめているではないか。まるで森の中の魔王に思えた。

 こんなことってあるもんか。確実に、弾丸は当たっているはずだ。その時、上をちらっと、見たら大きくて長い枝が、猪の真上まで伸びているのを見た俺は、よし、一か八の勝負だ。これでいこう。
「よいかね。弾はあと一発しかない。もしもの事がない限り撃ってはならないよ。俺が木に登るから、その間中大きな声で騒いでほしい」

 森の奥に住む狩人の掟として最後の一発は残していないと、森を出るまで思いもしなかった異変が生じる場合がある。俺は最後の一発を装填してタケシ君に渡すと、地下足袋のまま、上の枝まで上がった。二人は懸命に騒いでいた。木の枝を登る俺に、猪の注意が注がれないためのカムフラージュである。それがうまくいくかどうか定かでないが、やるより他にないことだった。生と死を賭けた俺の冒険だ。腰からファコンを引き抜くと口にくわえた。そして音のしないように枝の先へと進むことに成功、飛び降りる場所を点検した。高さが三米半はあると見た。ファコンを右手に持ち替えると、猪の横五十センチ近くへ一気に飛び降りた。と同時にファコンで頭に一撃をくらわして、もう一撃を首にくらわせたから、相手はすべもなく横にひっくりかえってしまった。
「ヤッタぜエ!」
遠慮なく大声を張り上げた。これでターザンに変身したような気分だったからである。その猪の胸には四センチ幅の白い毛のタスキがあって、親分を象徴するに十分なマークとなっていた。その場面を見ていた坂口とタケシとは、歓声を上げて飛んできた。
「往生際の悪い奴だったね。これでほっとした」
「確かに親分だけあって、強そうな奴だったよ」

二人はそれぞれ勝手に言い合って、猪の胸のタスキに触っている。
少しずつ夕方の気配がしてくる。早く担ぎ出さないと、森の中が暗くなったら大変である。曽木氏宅まで一キロ以上あるだろう。
 二人は生木を一本切って、猪の足を前後二本ずつ縛って、それに棒を差し込んで、前後に担ぐと歩きだした。こんな事は森の奥に住む者は慣れているから、アッと言う間に出来上がった。
 
道には、ちょっと小さいが、まだ二頭横たわっているので、俺はその内の小さい奴を肩に担ぎ上げてみた。何のこともない。五十キロ前後の重さだ。一頭をそこに残したまま、三人はそこを立ち去った。

 曽木宅の近くの小川の岸に置くと、家の中から全員が出てきて,テンヤワンヤの大騒ぎとなった。まるで、俺達三人は凱旋将軍である。しかもタケシ君が事の一部始終を熱心に両親の前で語っている。初めての体験だろうか、シドロモドロの語り口に両親は呆れて黙ったままだった。

 それから曽木宅の長男と坂口とタケシ君の三人は大急ぎで残した一頭を持ちに行った。今夜は三頭の猪の料理で忙しいだろうと思ったが、これも自分でやったことだから、文句の言いようがない。そしてそれからランプやカンテラの灯を借りて、夜の八時頃まで、肉切りをやっていた。夜食が終わると同時に小川に降りて行水だ。猪の匂いやダニを洗い落してから、ハンモックを吊るして横になる。森の中の生活は何とあっさりしたものであろうか。鼻歌も出ないではないか。

 次の日から再び落花生の収穫である。昼食までにかなり進んだ。ところが昼食のおかずが何と猪肉一色である。俺も坂口もこれには参った。こちらは出稼ぎと同じだから、食事に文句の言いようがない。あの肉をそのまま塩で炊き上げたもので、匂いを消す工夫もしてない。老夫人は牛の肉同様にすればよいとでも思っているのか。味が生臭くて吐き気を催したのだ。しかし、男一匹これが毒でないのだから、美味しいような顔をして、できるだけマモンの味噌漬けと味噌汁を主に食べた。俺は生まれつき野獣の肉は食べない。だけど毎日の重労働に耐えるには、何でも食べないといけないと思った。そんな時、曽木老人が言い出した。
「西富さん、あんたみたいな男を見た事がないよ。高い木の枝から飛び降りて、猪を叩き殺すなんて、ゴリラにだってよう出来んだろうに、それをやってのけるなんて、怪物に近い人のやる事だ。わしの息子にそんな勇気があったらなァ。娘でもいたら、あんたの嫁にやりたいが、生憎、息子二人だけだよ、ワッハッハッハ」
 それで一家中が大笑いとなってしまったので、よかったが、この老人、何を言い出すかビクビクしていたのである。

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 落花生の収穫が終わって、俺と坂口は森の道を帰った。一週間も自分の家にいないと、やはり家が恋しい。それにしてもあんなに毎日、猪の肉ばかりくわせられると嫌になる。その事だけを話しながら二人は家に帰った。
 向かいに住んでおられる吉田家へ、トウモロコシとかフエイジョンを買い取りに来るトラックが二日後の夕方にくることを知った。前から予想していたので、丁度よい機会と思った。この移住地を出ていくという事は、もう皆が知っていて会う人ごとに、別れの言葉を交わして、悔いのない日々を送っていたのである。日本から持ってきた脱穀機は近くの人が喜んで買ってくれた。あとは小さなものを片っ端から売りさばいていたので、身軽になった。吉田家でもパラナ州へ出ると決定しているのを聞いた。しかし、まだ、この地に名残があるのか、もう少し様子を見てからとの返事だった。彼の家族は女三人に男四人で、容易に家を畳んで出る訳にいかない事情があるらしい。

 トラックが来る前日の午後、ゆっくり髭でも剃り、さっぱりしようと、小川に行って何とか済ませた。その時だった。おれの横にいた愛犬ジョンが何かを感じて、けたたましく吠えながら、横の森の中へ突入していった。これはいかん。犬だけを一人にしていたら、とんでもない事になるから、わが家へ走りこんで行って、ファコンを持ち出した。鉄砲は売り払ってしまったので、これしかないのだ。

 森の中へ走り込むと、大声で犬を呼んだ。これは俺がここにきているから安心せよと、いう意味もあるが、危ないから帰ってこいと、呼んだのである。野獣は鉄砲を撃たないと,滅多に逃げないし、逆に襲撃してくるから恐ろしい。多勢に無勢ときているから結果は知れている。何とか犬の近くまで寄ってみると、それはクワチーの群れであって、一匹のクワチーが犬の背中に乗り上がっていた。「コラ!」と大声で怒鳴ると、一旦、背中から飛び降りて逃げたので、「ジョンよ、早く来い!」犬を呼んだら、俺の後に付いて来たので、これで収まったものと思って森の外に出た。勝手知ったる家より百米の森だ。少しずつ暗くなりかけているので、犬も出てくるだろうと思って、気にもかけないでいた。ところが、夜になっても帰ってこないと、母が言う。よくあることなので、次の朝まで気にもかけないでいた。ところが、なんと家に帰っていなかったのである。

 思いもかけなかった事が起きた。おれの頭がフラフラしだしたと思ったら、少しずつ熱が出ているのである。それでも豚小屋の横の木に座って、森を見つめていた。今夜は、ここを出発するという瀬戸際になってこのざまだ。

 その時、森の出口でチラチラと何か動く気配を感じて、よく見ると、まぎれもなく、ジョンがフラフラと歩いてる姿だった。俺は少しフラフラしながら、そちらへ向かって急いだ。何か可笑しい感じがするからである。近づいてよく見るとジョンの腹は引き裂かれていて、腸が垂れさがっているではないか。なんて惨いことになったもんだ。よくもこんな重体でここまで出て来れたものだ。俺は、そっと手を差し伸べて、痛くないように抱き上げると、わが家へ向かって急いだ。「ジョンよ。ジャングルの掟はこれだ。強い者が勝つ。逃げることも知ってなけりゃぁね」
 
家に入ると、母がわらの上に古着を一枚敷いてくれたので、そこへ犬を寝かせて腸を腹の中へ収めてやる。できることなら、鉄砲であの世へ送ってやりたいが、その鉄砲も今はない。立っているのが精一杯の俺には何にもできない。「よいか、ジョンよ。こんな事になったのも運命だと思ってくれ。俺だって、熱病に罹って、お前と同じ運命をたどっている。勘弁してくれよ。短い付き合いだったが、とても楽しかったよ。ありがとう。お前の分まで生きてやりたいが、わからん。あの世に行ったら、また、逢おう。怨まないでくれよ」

 俺は二階にあがって寝た。熱があって眠れないが、横になっていると少しは楽だった。
母が心配して色々とやってくれるが、熱さましなんてありっこないし、だから仕方がない。後で母が云うには「鍋一杯炊いたご飯に肉汁をかけて、水と共に、犬が食べるように、置いてやったよ」とのこと。

 夕方近くになって、トラックが一台やってきて、吉田家の前の道に停まった。トウモロコシと豆の袋を積むためだ。坂口は、さっさと自分の荷物をそこまで運ぶと、俺が、それをやれないのを知っているから、百五十米ばかりの距離を二回にわたって運んでくれた。
「すまないな、ジョン、許してくれ。おれは行かねばならないのだ。」 (次号に続く)

 


 この記事は「のうそん266号」(日伯農村文化振興会発刊)より、同誌と筆者の許可を得て掲載しました。(Trabras ) 

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