竹本 久子 詩集その5『暮らしの中から』

 
富田様お便りうれしく拝見しました。日系二世である私、日語もポ語も満足に出来ない、勉強したくても出来ない時代に生まれ育って、コンプレックス持ち続けて生きてきた私に、こんな嬉しいときがくるなんて、ちょっぴり涙が出てきました…。
嬉し涙です。私の承諾なんて…。ただただ頭を下げて感謝している私です。書きたいことは山程あります。でも、文章が後先きになったり、思っていることの表現がうまく出来なくて悲しいのですが、それに下書きとかしたことがないので、先便に何を書いたかも忘れてしまいましたので、同じことを何回も書いてしまうかも知れません。
もしも、取り上げて頂けないことがあるとしたら、どうか訂正お願いします。
1月にもお手紙頂いておりましたのに、返事もせず失礼していました。お許し下さい。
 
野球をされるそうですね。うちも野球、サッカー、4人の男の子皆、やります。
主人がスポーツ好きで、子供の頃からあまり上手なので、試合の時など青年たちに交じって投げさせてもらえたそうです。姑さんお話では…。
おまけに姑の話では「龍雄は野球の神様と言われたのじゃ」…。ウソか本当か知りませんが…。私は見合い結婚でしたので。主人は背丈も175㎝と高く、声も容姿も男性的で堂々としていたので、それに全く野球にしても、サッカーにしてもタツサ(優勝カップ)いっぱい…。確かに上手な人でした。
4人の息子たち、末っ子の英雄、7才の頃から、大人のグローブ持たされて、しごかれていました。隣町 ノバ・エスペランサの野球チームに親子して入れてもらい、24㎞もあるのに,チョットの暇を作っては連れて行き、稽古させていました。N.E. 市の監督さんは厳しいので有名…時には泣きながらでも稽古したお蔭で、長男はブラジル・セレソン(代表選抜チーム)として南米大会に参加、キャッチャーです。次男はピッチャー、三男はショート、四男は外野、どの子も上手です。N.E.市の野球は全伯1位に何回かなりました。三男が全伯大会で、むつかしい球を取った時は、相手側の応援団からも大きな拍手頂きました。
大きな声で「今の子の親の顔がみたい」と相手側の小父さんが呼ぶと、私の友達が「この人、この人」と私を押し出すので、あの頃若かった私は嬉しいのと恥ずかしいのとで、どこに向いてよいのやら…でした。
 
日本から野球チームが来泊、聖市では、勝利パラナ・ロンドリーナではパラナのセレソンが勝ちました。三男がそのセレソンにいたのです。今と違ってあの頃は、大会や、各地で試合あるごとに、選手のお母さんたち4,5人が食事作りに行ったものです。試合を見たいので、朝早く起きて弁当を作り…カンポ(球場)でハデに大声上げて大騒ぎしました。タメ息付いたり、大笑いしたり,我が子がバッターの時には、息も良くつけない、座っていられない…。
富田さん、忘れていた子供たちの野球時代、あなたの手紙で思い出し、興奮して書いております。あゝなんて子供たちは、親を楽しませ、喜ばせてくれるのでしょう。私は幸せです。悲しこと、辛いこと、我慢・我慢の糸がパチン!!と切れて泣けるだけ泣いて、胸のつかえを吐き出すように泣きわめいたことさえもあった、私の今までの人生を量りにかければ、なんと○が100、×が20くらいの…。神様ありがとうございます、ありがとうございますです。
 
満11歳より畑に毎日出てエンシャーダ(鍬)引きました。幼い頃から頭痛持ちで、寝不足で頭痛、車酔いで頭痛、その度に胃も悪かったのか吐き気で苦しみ、吐いて、吐いて後、半日くらい眠ると治るのです。それにジンマシンとかで身体中、それも耳の中までも痒くなる。始めはポツポツと彼方此方に出て、腫れはじめ、痒くて、痒くて、しまいにはそのポッポッ同士がくっ付いて身体中赤く腫れて大変辛いのです。アルコールを綿にしませてふき、痒さをこらえました、私は小柄で、おまけにやせっぽちでしたので、親がとても心配して「久子は、百姓には嫁にやれぬ」と言っていましたが、結局私は農業の人と結婚しました。そんな虚弱な私も、畑仕事をするようになってから元気になり、身体も人並みに成長、7人の良き子たちに恵まれ、84歳の今まで大病はありませんでした。結婚してからは、育児と大家族のコジーニャ(料理)作り、結婚15年目に養鶏を始め2002年に38年続いた養鶏場をの閉めました。その間、私は洗卵・選別場で働くコロニアの娘たち12人の監督とその他色々、卵のことで働きました。
 
富田様、今日の手紙はあなたが読んでも面白くもない手紙になりました。書いている私には、長い間思い出しもしなかったことが、頭いっぱいになり、夢中で書きました。この歳まで生きていると、まあ いろんなこと経験するものです。自分史とかを書けば、私のようにくどい書き方の者は、無駄ばかりでいけません。簡潔に書けるようになりたいのですが…会話しても娘たちに言われます。「お母さん、もっと簡単に言えば…」と。三女は連邦大学獣医学部卒です。働き者で何でもやります。文協の日語教師、マリンガとクリチーバで勤め、現在は週に二回位と思いますが、大学で日語教師です。私より日語は上手です。
 
私は、2月19日サンパウロ10時着の便で発ちます。ソブリョーニ(甥)の結婚式にその日行き、一週間ほど妹の家で過ごします。丁寧に書けないので下手な字でお読みづらいと思います。
お身体をお大切に楽しい日々をお過ごし下さい。
奥様によろしく。
                              竹本久子
富田様 2017年2月16日
 

 
              
【夜】
しずしずと
夜のとばりの下りる頃
音もなく影もなく
気がつけば神秘の夜は
わたしをとりまいていた
夜がきて
心の荷物をみなおろし
安らかに身をまかす
美しい夢の世界に
わたしは
ただよっている
今日も明日も
夜の世界はおとずれる
安らかな子守歌
ゆりかご…の…
眠りの世界に…わたしは
夜ごと抱かれる
 
【赤いバラ】
咲いた咲いた赤いバラ
重なり合った花びらの
濃いくれないのうつくしさ
赤いバラ赤いバラ
気品ただようその香り
尊きものを思わせる
咲いた咲いた赤いバラ
ひときわ目立つ大輪の
こぼれんばかりのあでやかさ
赤いバラ赤いバラ
燃ゆる情熱ほとばしる
あの日乙女の恋心
 
 
【アカシアの花びら】
快よい
午睡の夢からさめて
ソファーから起き上る
涼風の吹く
ヴェランダに身をおけば
薄くれないの数知れず
小さき蝶の空に舞う…まるで
まるで…
さっきの夢の続きのように…。
よく見れば
はためきなびくアカシアの
細き枝々…その先に
こぼれるように湧き出ずる
ああ…
可愛ゆき蝶の正体は
アカシア…アカシア
お前だったの
アカシアの小さき花びらたちよ
夢心地…。
 
【眠り】
眠りとは
不思議なもの
自分の身体なのに
知らん間に
ほんと知らん間に
眠っている…。
ああ今眠るのだ…と
眠りの瞬間を
とらえようと思っても
知らん間に
自分が知らん間に
身体中が眠りに
引き込まれている
眠りとは
ふしぎなもの…。
 
【感傷】
風の音を聞く時に
ゆれる木の葉を
見るときに
やさしい小川の
せせらぎに
なんで私は泣くのだろう…。
やわらかい
月の光りにゆあみして
輝く星のまたたきや
ふけゆく夜の足音に
なんでわたしは
泣くのだろう…。
大いなる宇宙の中に
小さなわたし
心にひびく自然のささやき
心にせまる
なにかを感じてわけもなく
わけもなくわたしは泣くの…。
あついなみだとめどなく
ほほをぬらして
わたしは泣く…の
わけもなく
深いわけもなく
わたしは泣く…の。
 
これらの詩作品は「詩話会だより」に掲載されたもので筆者の許可を得て転載しました。(Trabras )
 

 

               

 

作者自己紹介】

 

竹本 久子

1933年11月10日、サンパウロ州 Presidente Venceslau

生まれの日系二世ブラジル人です。

趣味は詩、読書、踊り、トランプ、旅行。

下手の横好きでカラオケもはじめました。

2005年から8年間、サンパウロの「詩話会だより」

に投稿をしていました。今後も「のうそん」に投稿

させていただきたいと思っております。

 

 
 
 
 
 

  

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