島田戴造 至福の宅急便(No32~37) ~自然院掲示板より~

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至福の宅急便(№37臘梅)


『奥から漂う 気高い芳香。気品に満ちた美しさ。私の目指す 美術の究極。至福の極地。 妙遊(戴造)』

 

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 【至福の宅急便(№36唐辛子)】


己が意志(自我・エゴ)を落とし、天の意志によって生きるとき、護らぬ神があろうか。安穏ならざることがあろうか。信ずべし。励むべし。 妙遊(戴造)

   

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 【至福の宅急便№35 柚子】


 『四季の行事に追われ 世間の空気に動かされ 時は流れ行く。起こり来る環境変化や 生老病死の四苦に支配され なかなか 心に余裕を 持てないのが 我ら凡夫。 なにものにも 左右されない「不動心」を早いうちから養おう! 妙遊(戴造)』

  

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【至福の宅急便(№34 くわい)】

『空っぽになる。これからの 私の努力の 全ては それに 捧げる。 妙遊(戴造)』


 

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明けまして おめでとうございます。・勀 年末に「南天」を一枝戴いたので それを描いて書き初めとします。昨年5月から始めた「掲示板」もはや 33号となります。「至福の宅急便」として送らせて戴いておりますが お役に立てているでしょうか? 本年もよろしくお願い申しあげます。今年も良き1年となりますように。(島田戴造)

 


至福の宅急便(№33南天)

 

いかなる苦難も慶びに変えていこう。神の愛がこの生命を与えてくれたのだから。幸せになるようにと。     妙遊(戴造)

  


 
 昔より日本では 門前に南天を植えている家が多い。「難を転じ」福を願うの万国共通か。人生には必ず一度位は大きな苦難に直面する時がある。その時 どう対処するかが大事です。慌てふためいてオロオロするか 泣き叫んで 絶望に沈んでしまうか、それを受容し 安楽の世界に向かって前に歩き出すかで 幸せに大きな違いが出てくる。
何れにしても 人間は いつまでも 苦悩の中に沈んではいられないようにできている。悲しみや苦しみは十分味わえば それは溶けて無くなる時が来る。それからが真のスタートだ。心配は要らない。人間は幸せになるようにできているのだから。日蓮聖人は「難来たるを以て 安楽と心得べきなり。」(御義口伝)と述べ、良寛さんは「災難に遭う時節には 災難にあうがよく候。死ぬ時節には 死ぬがよく候。これはこれ災難を逃るる妙法にて候。」(1828年の三条地震後 山田杜皐(とこう)に送った見舞状)。 これは「難を転じ 幸せになる」究極の極意だと思います。難に直面している人には厳しいかもしれませんが、よくよく味わって生きたいものです。
 
 
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【至福の宅急便№32 Fox Face】

『 空即無尽蔵 マインドが空っぽのとき、 執着やエゴの騒音が消え ハートが無垢のとき、 真理や美が 次々と飛び込んで来る。無尽蔵に…。 吐き出しても 吐き出しても 尽きることがないほどに。 自然院 妙遊(戴造)』

 

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