加藤仁紀理事長
<はじめに>
私は、早大海外移住研究会に所属し、卒業と同時(1964年)、東京オリンピック開催を前にして、サンパウロの南米銀行に就職・渡伯し約3年後に帰国。その後、企業に勤務、定年間近になってから学生時代の同士とともに、微力ながら在日ブラジル人等いわゆるデカセギ支援活動を開始、約10年を経過した。そもそもデカセギは、我々が学生時代におこがましくも海外移住啓蒙活動などと称して南米に送り出した移住者の子や孫たちである。彼らが、日常生活の中で様々な問題に直面し、苦労していることがマスコミ等で報じられるたびに、移住研OBとしては多少ながらも良心の呵責を感じていたことが活動の動機と言えるかも知れない。
なお、2008年、ブラジル移住百周年の記念行事が日伯で大々的に報じられる中、逆に日本移民が苦心惨憺して築き上げた“栄光ある”ブラジルの日系社会が、徐々に崩壊しつつある現実を知らされ、これは日本の国益にとっても由々しきことではないのか。しかも日本人は全くこれに気付いていない。これにも強い焦燥感を覚える今日この頃である。
<活動内容:具体例>
全国各地のデカセギから携帯電話で相談を受けた場合、即時徹底解決を旨として対応する。若干の例を挙げると以下の通り(http://www.ongtrabras.org「解決事例100」ご参照)。
① 奨学金を申請するデカセギに対し県の担当者が告げる、「連帯保証人が二人必要だが、少なくても一人は日本人でなければならない」と。デカセギの連帯保証人を引受ける日本人は先ずいないから、進学を諦めるしかないと言う。
→県担当者に電話で、「日本人の連帯保証人を求めることは無理。差別か?その規定は事実か?」と強く問い合わせると「止むを得なければ、日本人でなくても構わない」と。「始めからそう言って上げなさい」、「分りました。申し訳ありません。」となる。
② デカセギの小学生の子供が、集団登校から除け者にされ不登校になっている。日本人の親が外国人嫌いでその親の影響を受けた息子がデカセギの子をいじめるという。
→直ちに学校長を電話で呼び出し、「教育委員会に即刻通報する」と告げると、その日のうちに校長が外国人嫌いの親や担任の教諭を始め関係者間を駆けずり回って、「解決した」と報告してくる。事実翌日、デカセギから「集団登校できた」と感謝の電話が入る。
③ 仕事が無くなると派遣会社は、平気で契約を打ち切ると同時に寮の退去を命じ、乳飲み子を抱えて行き先のないデカセギ一家の電気・ガス・水道を止めて追出しにかかる。
→電話で寮の最寄の警察署に「乳児の生命が危険に晒されている」と通報、警察官を派遣させる。警官に呼び出された社長が驚き、促された社長がその場で当方に電話、話し合いで寮の退去及び解雇そのものを撤回させる。
④ 仕事中にデカセギが、重量物を繰り返し運んで腰部椎間板ヘルニアになっても、会社の通訳が本人と病院に同行して、来日前から腰痛持ちだった、つまり持病であると医師に嘘を言う。会社の責任を逃れようとする。となれば労災保険が適用されず、治療代を自己負担、休んでも無給となりそのうちクビになる。
→所管の労働基準監督署に通報して調査を依頼、「労災による疾病」であることを認めさせ、治療代や休業補償費を給付させ、解雇制限規定により解雇を撤回させる。
⑤ 労働基準監督署にデカセギが不当な対応をする使用者を訴える。署員は使用者とデカセギの言い分に差があると、「両者の主張に食い違いがあるのでこれ以上監督署は何もできない。後は裁判でもやるしかない。」と平気で相談者を突き放す。両者の言い分が違うのは当たり前で、一致すれば紛争になるはずがない。役人は紛争に関与
すれば仕事が増えるのでできるだけ逃げを打つ。
→やる気のない担当者に「署長を出してくれ」と強硬にいうと途端に態度が変わって解決に動き出す。調査の結果、労働基準法に反していれば必ず解決する。使用者が余りに酷いケースは、弁護士を紹介して裁判をさせるが相手が不当行為をしているから必ず勝つ。
昨年12月、何故か財団法人海外日系人協会の相談コーナーの担当者から電話があり、「おたくのホームページでポルトガル語版の“解決事例100”を読んだ。うちは15年以上デカセギの相談に乗っているが、ここまでできない、凄い、感動した、金を取っているか。」という不躾な問い合わせがあった。「金は取らないし、取れない、ほとんどの人は電話だけだから最後まで顔も知らない。手弁当でやっている。おたくもよければうちを手伝って貰えないか?」と逆に尋ねたら絶句して電話が切れた。
<さいごに>
ブラジルの日系社会が崩壊しつつあることは述べた。日系人が農業をベースにブラジルの今日の発展に多大の貢献をしたことを、ブラジル人は知っているが、日本人は余り認識していない。現在日系5世も生まれ、150万人以上と言われる日系人社会は非常な速度で混血化が進み、日本の言語も文化も失われつつあるという。ドイツやイタリア系社会は、本国政府や進出企業が資金を出し、ブラジルに母国系のコレジオ(小中高等学校)を設立し、母国の言語や文化を子孫に継承させている。これが結果的に母国に有形無形の大きな見返りとなるメリットを彼らは十分知っているという。
これに対して日本は、政府も進出企業も意外に無関心のため、ブラジルに日系の教育機関を設立したいという現地の悲願は達成できていないし、できそうもない。それどころか日本移民足跡の最後の砦とも言われるサンパウロの「移民資料館」も予算が無く白蟻に食われて目も当てられず、滅び行く日系社会の象徴かと現地の識者は嘆く。果たしてこのままでよいのか。
既に長年に亘り、ブラジル等在住の学移連OBその他の皆様が危機感をもって教育機関設置活動に懸命に取り組まれていることに敬意を表したい。同時に今後私どもも在日学移連OBの皆様とともに側面から彼等に何か協力できることがあるかを考えることができれば幸いに思う
(2011年3月、特定非営利活動法人NGOブラジル人労働者支援センター理事長 加藤仁紀)。
【本論文は富田眞三さんのBlog「アメリカ便り」にても紹介されました】
OB会設立記念誌「我が青春の学移連」に寄稿された、早大OBの加藤仁紀氏の論文は、遠いブラジルから父母、祖父母の故郷である、日本へデカセギに来たブラジル二、三世が直面している、問題点を鋭くレポートしています。
一方移住100周年を迎えた、ブラジルでは、日本移民が苦心惨憺して築きあげた、「栄光ある日系社会」が徐々に崩壊しつつある、と加藤氏は指摘しています。
今回のBlog「東京発」は、NGOブラジル人労働者支援センターの日本に於ける活動の一端とブラジルに於ける、学移連OBたちの第二の問題への対応振りを報告した加藤氏の論文を、上記記念誌から転載させてもらいました。
ブラジルに関心を持つ多くの人々に読んでいただければ、幸いです。
下記のBLOGでどうぞ。