国籍の選択 ( 駐在員A氏の事例 )

 



 
 二人の子供は、1972年に息子が、1975年に娘がいずれもフランスで生まれた。
現地の日本大使館に出生登録を申請し、日本国籍を取得したが、同時にフランス社会保険庁に出生登録をし、自動的にフランス国籍も持った。すなわち二重国籍を持つ事になったが、同時に、17歳の時点でどちらかの国籍を選択することが出来ると聞かされた。

 1977年、ギリシャに転勤。 更に2年後に日本へ帰国した。9年間の本社勤務の後、1988年、再び海外勤務が始まり、イタリアに赴任した。息子は中学3年を終了し、ミラノのインターナショナルスクールに、娘はミラノ日本人学校の中等部1年に入学した。

 イタリア勤務も3年目に入った1991年1月、中東湾岸戦争が勃発し、ヨーロッパ・中東情勢は一気に緊迫感を増した。USA,NATO軍のイラク爆撃が始まると、イラクからの報復攻撃が予想された為、ヨーロッパの全ての空港が最高レベルの警戒態勢に入り、ヨーロッパ全域で日本人駐在員に対し、不要不急の出張は中止、更に日本への渡航は中断との指示が出された。いずれも外務省の海外危険情報に基ずく対応であった。

 ミラノ日本人学校に隣接して、イスラエル人学校があった為、報復テロが懸念され、日本人学校の送迎バスには前後にミラノ警察のパトカーが警護にあたる物々しさであった。
インターナショナルスクールは更に複雑で、アラブ系の国々の国籍を持つ生徒も多く、
校内には不穏な空気が漂い、1週間近く休校が続いた。学校周辺には警察が待機し、入り口では入念なチェックがその後も暫く続いた。

 そんなある日、フランスから1通の封筒が届いた。送り主はフランス国防省。
息子への兵役召集であった。既に18歳になっていたので、兵役年齢に達していたのである。フランスを離れて14年が経っていて、二重国籍のままである事、17歳の時点で国籍を選択しなければならなかった事に遅ればせながら気が付いた次第。フランスの知人を通じて国籍選択の手続を済ませて事なきを得たが、緊迫した国際情勢の中で、この時初めて、国籍選択の重大さを思い知らされた。 憲法上、軍隊を持たない日本では想像もしなかったが、欧州では、ひとたび国難に直面すれば兵役もあり得ると言う現実を肌で感じた。
フランスも軍隊の派遣を決めていたのである。国籍選択をおろそかにした事を大いに反省した苦い思い出となった。
 

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