白人になった私たち

筆者: 眞砂 睦

今は失効してしまったが、1986年に私はブラジルの「永住査証」を取得した。かの地でも永住査証はそう簡単にはくれないが、家族にブラジル人がいれば楽だった。我が家には現地生まれの子供がいたので問題なく取得できた。あちらは国籍は出生地主義をとっているので、現地で生まれた次女が自動的にブラジル国籍を付与されていたからだ。 

 永住査証はその前の年に申請した。しばらくして面接の呼び出しがあり、家族うちそろってリオデジャネイロ連邦警察署に出頭した。面接官から私の仕事の内容や永住査証を申請するにいたった動機などの質疑があって後、「肌の色」という項目でひっかかった。
申請書には「肌の色」として、「白」・「小麦色」・「褐色」・「黒」、そして「その他」と分類されていて、そのうちのいずれかを選択せよとあった。私は東洋人なので、「その他」の箇所に「黄色」と記入していた。あまり好きな表現ではないのだが、迷ったあげくやむなく「黄色」としていたのだ。
面接官はかしこまって一列に並んで座っている私たち一家をジロリといちべつして、「黄色は良くない。あなた方は白にしておきなさい」と押し殺すような声で言った。その時はもう3年ほども現地で生活しており私たちは日焼けしていて、「白」どころか「褐色」にちかい状態であったので、私は面接官の思いがけない一言にとまどった。私の表情を見てとった面接官は「あなた方は白が適切だ」と念を押し、みずから「白」に書き換えてしまった。無論、「白」というのは白人を意味する。私たち一家は白人として記録簿に登録されてしまったのだ。
混血が進んだブラジルは肌の色に対する偏見が希薄で、有色人だからといって社会生活が制約されることもない。反面、肌の色ではなく経済力による社会階層は存在する。
とはいえ、多くは白人がその上層を占めており、ゆるやかながら上にいくほど肌の色が白くなっていくことも事実である。そして白人ではないが正直で勤勉、誠実な日本人移住者や日系人は、白人が多くを占める指導層の一員として受け入れられている。
私たちを白人にしたあの面接官の真意は今もってわからない。しかし彼は、移住者を通して心に刻まれた日本人に対する信頼と敬意から、日本人である私たち一家も多くの白人と同じく指導的な社会層に位置づけるのが適切だと考えたのに違いない。私はいまもそう信じている。

(2011.4.25)
                             

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