沿岸捕鯨を守るための提言

 
 
筆者: 眞砂 睦
 
 日本の調査捕鯨は国際捕鯨条約第8条にのっとった合法的な行為なのだが、もっぱら日本が捕鯨反対派の激しい攻撃目標となっているのには理由がある。国際捕鯨委員会(IWC)が「鯨のサンクチュアリー」と定めている南極海で鯨を捕っているのは日本だけで、しかも捕獲した鯨の肉を販売して、調査捕鯨の経費に充当する仕組みになっているからだ。
 
 調査捕鯨を推進しているのは農水省(水産庁)傘下の(財)日本鯨類研究所だが、その下請けとして実際に鯨を捕っているのは共同船舶(株)。水産大手のニッスイと極洋の捕鯨部門を切り離し統合されて作られた会社である。マルハはすでに捕鯨から撤退した。この共同船舶(株)は(財)日本鯨類研究所から年間5億円の補助金をもらっているが、年間60億円ほどかかる経費をまかなうにはとうてい足りず、調査用に捕った鯨の肉の販売収入が生命線となっている。つまり、燃料代など増大するコストをカバーして捕鯨を続けるためには、どうしても捕獲頭数を増やして鯨肉の販売をあげていく必要があるのである。そういう仕組みになっていることが捕鯨反対派の対日不信感を増幅し、「調査捕鯨は科学に名を借りた偽装商業捕鯨だ」と非難される原因にもなっている。事実、当初は南極海で小型のミンク鯨から始まった調査捕鯨が、北西太平洋にも漁場を拡大、捕獲鯨種もミンクの他により大型のニタリ鯨・マッコウ鯨・イワシ鯨、さらにはナガス鯨までも手を広げて、今では年間合わせて1200頭ほどの捕獲まで拡大している。
 
 そもそも調査捕鯨の目的はどこにあるのか。予想される近い将来に、IWCという公式の場で商業捕鯨の再開が公認されると考えるような時代錯誤の水産会社はあるまい。名のある水産会社はとうに捕鯨に見切りをつけている。日本が商業捕鯨を公認されるとしても、ノルウェーやアイスランドのように、その漁場は沿岸に限定され、しかも捕獲頭数や鯨種も限定的なものにならざるを得ないだろう。そうなると装備にみあう採算性の点で、日本の捕鯨を担うのは大手水産会社ではなく、沿岸の漁民をおいてないことになる。従って調査捕鯨の目的は、あくまで小型船をあやつる漁民たちが持続可能な捕鯨活動ができることを裏付けるための資源調査となる筈だ。つまり、国として守るべきは、「官」丸抱えの調査捕鯨ではなく、捕鯨漁民なのである。調査捕鯨は手段であって、目的ではないのだ。
 現在日本では、和歌山県・太地、千葉県・南房総(和田)、宮城県・石巻(鮎川)、それに北海道の函館と網走の5ヶ所で沿岸捕鯨が継続されている。しかし、IWCの規制で肉がおいしいミンク鯨の捕獲が禁じられている。やむなく漁民は規制外のツチ鯨やゴンドウ鯨、イルカなどを捕っているが、これでは年間を通した操業ができず生計が立たないので、年の半分は(財)日本鯨類研究所のミンク鯨の調査捕鯨に雇ってもらって、なんとか食いつないでいるのが実情である。つまり捕鯨漁民が暮らしてゆくためには、資源量が豊富でおいしいミンク鯨の捕獲を認めてもらうことが不可欠なのだ。
 
 ところが水産庁は昨年のIWC総会において、日本の捕鯨に理解があるホガース議長(米国)が出した調停案(調査捕鯨を段階的に廃止するかわりに、日本の沿岸商業捕鯨を認めるという案)を拒否してしまった。その結果、日本が提案した捕鯨枠の要求も拒否されてしまい、捕鯨漁民のミンク鯨等の捕獲を認めさせる絶好の機会を逃してしまったのである。水産庁が調査捕鯨に固執したからだ。その後最近になって豪州政府が、ミンク鯨どころか「一切の捕鯨を禁止」する案を今年秋のIWC総会に提案することを公言した。一方で日本の捕鯨に理解のあるIWCホガース議長がこの3月で退任する。日本はますます苦しくなる。
 
 そんな状況下で、主たる漁業会社が逃げ出したような調査捕鯨を強行することが果たして日本の国益にかなうのか。このまま強行すれば沿岸商業捕鯨どころか、国際世論を「捕鯨一切の禁止」という方向にもっていかれる危険性が非常に高い。日本政府がなすべき事は、捕鯨漁民が沿岸商業捕鯨を継承できる環境を作ることだ。「官」丸抱えの調査捕鯨を続けるために、沿岸商業捕鯨を犠牲にしてはならない。日本は調査捕鯨の段階的廃止を受け入れることと引き換えに、捕鯨漁民の生計がたつだけの捕獲枠をIWCに認めさせることに外交力を集中すべきだ。手遅れにならないうちに。

 古式捕鯨発祥の地・熊野では古来「鯨一頭七浦を潤す」と言われてきた。鯨のもたらす恩恵は大きい。食料自給がおぼつかない日本は、いつか必ず鯨捕りの男たちを必要とする日がくる。日本の伝統産業・捕鯨を、末永く守っていきたいものである。

(紀伊民報 2010/3/13より)

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