諸川有朋 「ブラジルの日本語教育に関して」(諸川有朋)

alt【筆者 プロフィール】

諸川有朋 ( もろかわ ゆうほう)

 1941年 ブラジル国サンパウロ州第一アリアンサ植民地で茨城県出身の父と長野県出身の母のあいだの9人兄弟の次男として生まれた。 移民の生活は厳しく幼少より辛酸をなめた。7,8歳のころは家で出来た野菜を遠路歩いてアリアンサの町に売りに行ったこともある。親は1955年にはパラナ州でカフェー歩合作をしていたが1957年の大霜で被害を受けたのを機に翌年氏はパラナ州プレシデンテプルデンテの寄宿制日本人実習農学校へ入学した。在学中は野菜栽培が許されたのでそれを売ったりバリカンを買って生徒の頭を刈ったりして学費や生活費をまかなった。

 卒業後4Hクラブにはいりそこでトーモロコシの研究発表で1位になり1960年日本へ研修に派遣され農林省のプログラムで1年間にわたり日本各地を回った。 なかでもすでにブラジルに進出していた松下電器では松下幸之助会長に食事をご馳走になりながらカフェー栽培についての質問を受けたのが忘れられない。
1962年から1973年まで4Hクラブで働きその後ブラジル松下電器で16年間働いた。次いでH.Stern宝石チェーンの日本人部に招かれ当時進出ブームの300社余の進出企業の全てに営業をかけた。
1975年働きながら大学に通いカトリック大学経営学部を卒業。 日伯文化協会(現日伯文化援護協会)理事などを経て現在ブラジルにおける日本語教育振興につきJICA、国際交流基金の支援を受ける「ブラジル日本語センター」副理事長として日本語教育に力をそそいでいる。

 


 

 はじめに

  私は日本語学校に通ったこともなく、ましてや日本語の教師をしたこともない者ですが、常々感じていることを「かけ橋」通じて述べさせていただこうと思います。 いつもセンターの教師の集まりに出席し、教師という職業は大変難しい仕事であり、かつ重要な任務を課せられていると感じています。
人間育成の過程において、一番大切なのは、家庭教育であることは、間違いありませんが、次に影響を与えるのは、学校の先生であると思います。
私は、世界のトップメーカーと言われている松下電器に16年間勤めました。会社のモットーは、世界の人々に役立つ製品を製造販売することです。従業員の一人一人に自分も会社の一員であり,世の為に仕事をしているんだという事を自覚させるものです。

 しかし、社会に役立つ製品を作り出すことも大切ですが、世のため社会の為になる人間育成に携わっておられる教師の皆さんの仕事の方がもっと難しいと思うのです。
子供たちに大きな夢を与え、ノーベル賞の獲得を目指すような人材作り、或いは平凡であっても、世界に平和をもたらす一員であればいいのではないかと思います。
ブラジルは広い国土、及び、豊富な資源に恵まれています。しかし、貧しい国民が多く、治安は悪く、汚職が絶えないことは悲しいことです。この国で一番大切なのは、やはり「教育」だと思います。
日本という国は、何千年という長い歴史があり、そこで培われた日本人の生き方、国民を動かす思想は、ブラジル人の育成に役立つものがあると信じます。
そのため、ブラジル日本語センター、日本語教師の役割は大変重要だと思います。

 

日本の歴史・日本の文化

 私にとって、日本は、祖先の国、父母の国であります。いつも興味を持って新聞やテレビを見たり、或いは倫理や道徳に関する本を読んだりしています。日本の長い歴史を理論的に説明するような知識はありませんが、私なりに一言意見を述べたいと思います。
すべての生き物は、長い年月を経て進化し環境に合わせた身体と生き方を求めながら、同種を繁栄させる性質を持っています。日本人は何千年もの長い間、島国に育ち、その中で繁栄し、独特の日本文化を築き上げてきました。
海と山に囲まれ、厳しい気候に耐えながら、日本列島で生き抜いてきた日本民族であり、特有の精神と気質が形成され、生活様式が設けられ、調和のとれた国が造られたのです。私たちブラジル人にとって、見習うところがたくさんあります。
私から見る日本人のイメージとは、次のようなものがあります。
日本人は狭い国で、厳しい気候の中で生きるために、助け合いが必要であり協同精神を重んじ、家族を守り、隣の人に気を配り、村を大切にし、国を重んじる民族だと思います。
日本人は、自然を大事にする民族であり、山から取れる物を「山の幸」、海から取れる物を「海の幸」とし、山の恵みや海の恵みに感謝します。土地を尊び、日の出や沈む太陽を拝み、星空や月を仰ぎ、流れる川や雲を詩に捉え、花や木々の美しさや、小鳥のさえずりと虫の音に耳を傾け、俳句や短歌を作る。自然を愛しつつ、生活している民族だと思います。
ブラジルで暮らしている一世、または、日系人の数は、ブラジル総国民の1%にも及ばない人口でありながら、毎週、新聞によって発表されている詩や短歌俳句の数の多いことは、日本人の高い教育レベルの表れであると思います。
日本人は勤勉であり、また、信用されています。それは長い日本の歴史の流れの中で、仏教の教えと、中国の儒教、長い間、継続された戦国時代の武士、士族によって生まれた武士道精神の教えが土台になっているのではないかと思います。
日本で生まれた一世たちは、当然、日本的に物事を考え行動をします。我々の祖先一世の日本精神は、ブラジルにおいて、すべて活用されてはいませんが、多くの教訓として永久的に残し続けたいと思います。それが日本文化の継承だと思います。
「日本文化とは何か?」私なりに、平凡な日常生活の中で、父母に言い聞かされたことを、特に、子供たちに伝えたく思います。
ブラジル語で arvore que naceu torta cresce torta (木は生まれたときに曲がって生まれると、曲がった大木になる)と言われるように、幼少時の教育が非常に大切であり、大人になってからでは直しにくいからです。「その様な教えは、どこの家庭でも、どこの小学校でも、耳にタコが出来る程、言われている事じゃあないですか」と言われるかもしれませんね。
 
一世が残してくれた教訓

父は19歳の時に茨城県から、母は13歳の時、長野県から、ブラジルに移民として来ました。結婚した二人の間に9人の子供ができ、私は次男として生まれました。
ミランドポリス郡の第一アリアンサで育ち、5キロ離れたブラジルの小学校に通いました。貧乏生活でしたが、父母から日本の話を聞いたり、ランプ生活をしながらも多くの本を読んでもらいました。
当時の少年クラブ、世界名作全集の数々。中でも小公子、ドンキホーテ、ジャングルブックや、エジソン、ガンジー、ワシントン、リンカーン、乃木将軍、野口英世の偉人伝記などを読んでもらい、私の日本語に大きなプラスになりました。それで今でも読書が好きなのだと思います。
小さい時に本を読んで聞かせたり、読ませたりすることは大切であります。しかし、現代の生活において子どもたちはゲーム遊びやコンピューターなどに夢中になりそんな余裕がないのは残念です。「三つ子の魂、百まで」といいますが、父母から小さい時に言われたことは、大人になっても身に付いているのです。
 
☆絶対に嘘をついてはいけないよ
「どんなに身を隠しても、生きている限りは見つかる様に、ウソもいつかは、ばれてしまのよ」
絶対にウソをつかない、ごまかさない人を一人でも多く育成したいものです。[正直で誠意ある人造り]
 
☆絶対に盗んではいけないよ
「人が見ていても、人に見られない所でも、絶対に他人の物を盗ってはいけないよ。見られてないと思って盗んでも神様がチャンと天から見ており、バチがあたるからね」
盗みの多いブラジルで、日系人は絶対に盗まない、殺さない、悪いことはしないと言えるようになりたいものです。
 
☆人に会ったら挨拶をしなさい
「他人と道で会ったら、特に目上の人、おじいちゃん、おばあちゃんに対しては、大きな声で『お早うございます。今日は』と言いなさい」
昨今、倫理研究所では、挨拶とは、人と人をつなぐ金の鎖であると教えています。
 
☆お礼を言いなさい
「人から何かをもらってたり、何かしてもらったら、大きな声で『ありがとうございます』と言いなさい。また大きくなったら、困った人に物をあげたり、お手伝いをしてあげるんだよ」
日本人の心は、お礼をする習慣があり、他人の好意を忘れない。
最近、私はアラサツーバの日本語学校の25周年記念式典に出席した、しばらくして、お礼状をもらい、大変うれしく思いました。
 
☆がんばりなさい
 「小さなことでも、こつこつと辛抱強くやって行けば、必ずよくなるんだよ。一生懸命がんばりなさい」と励まされた。
「がんばれば実になる」とか、「石の上にも三年」とか、「遠き道程も一歩から」ということが理解できるようになりました。[粘り強い人造り]
 
☆我慢しなさい
「はちに刺されたり、アリに食いつかれたぐらいの事で泣いたら、泣き虫といわれるよ」「男の子は一寸した事で泣くんじゃない」と言われました。
最近、五、六歳位の子供が予防注射をされて、大きな声で泣きわめいていました。我慢できない泣き虫であり親の教育不足ではないかと思いました。[忍耐力のある人造り]
 
☆迷惑をかけない人になりなさい
ブラジルでは、よく車を二重駐車しておしゃべりをしたり、人が通る所でおしゃべりをしており、多くの人に迷惑をかけているにもかかわらず、平気なものです。自分の家のごみを隣に山積にしておくような公衆道徳に欠けている。自分が良ければ他人はどうでもよい。他人の邪魔をしないようにして行動するのは日本人です。
 
☆恥をかくようなことをは絶対にしないこと
「もし悪いことをしたら、恥をかくのはパパイとママイ、兄弟たちだからね。先祖や家族の名誉を傷つけてはならないことを教えられたのです。
 
☆弱い者いじめはしないこと
「強い者とのケンカはしても構わないが、絶対に弱い者や、女の子とケンカしてはいけないよ」
悪い道と善い道を見極めて、勇気を出して行動しなさいと教えられた。
 
☆勿体ない事をしてはいけません
特に、御飯を残したり、物を粗末にしないこと。「米一粒さえ食べられない人がいるんだよ」と言われて、一生困らないように、冬が来ても過ごせるように、叉、贅沢をしないで、年をとっても困らない様にしなさい、と教えられたものです。
このように私たち二世は、自分が率先し、社会に和をもたらす教えを、三世、四世へと継承し続けることが大切な使命ではなかと思います。今後、出来る限り、子供たちの集会や学校などで、この様な人生経験を語っていきたいと思っております
 

——————————————————————————–

この記事は 「のうそん253号」(日伯農村文化振興会発刊)より、同誌と筆者の許可を得て転載しました。  (Trabras)
 
 
  

 


 

コメントは受け付けていません。