西富 文博 ウビンの森 その3「吃驚づくめ」

 

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【筆者プロフィール】

 

 西富 文博 (にしとみ ふみひろ)

 

1937年7月14日、熊本市健軍町新外に生まれる。
1954年9月アメリカ丸にて渡伯、同11月1日着伯。
パラ―州モンテアレグレ移住地に辻計画移民として入植。
二年後にサンパウロ州ミランドポリス市へ移転。
1958年にアリアンサ移住地の産業組合の従業員として勤める。
1976年9月車の事故で退職。現在に至る。
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ある朝の曇り空を見あげ乍ら、ジョンを連れて、自分の土地の廻りを迂回して見ることにした。北側の森の中へ十メートル程入り込んだ処で止まった。其処は小高い丘になっていて、我が家が百メートル向こうに見える処だ。前方二十メートル程の処に、何かの気配を感じたからである。それが何であろうとも猟をする者にとって緊張するのは、当然のこと、何が何でも相手の正体を確かめないと気分が収まらない。そっと大木の裏側に立ったまま、その相手が現れるのを待つ。犬のジョンもそれを感じて、じっと俺の足元で堪えて待っていてくれる。その相手が鹿だと判ったのは、この二、三秒過ぎてからのこと、待ってましたとばかり「ダン」と鉄砲が火を吹き、鹿は倒れるし、犬は鹿の首に食らいついたが、その近くにあったタツー・カナストロの穴の中に暴れ込んだ。アッと言う間の出来事だった。二メートルの深さに止まっている鹿の足を懸命にひっぱっている犬、待てよ、スルクック(注・世界一大きな毒蛇)や他の毒蛇が隠れている時があるからね。しかし、犬は先刻から吠え続けているし、毒蛇がいても鹿が穴を覆っているから大丈夫だと信じた。

 このあまり急でない穴にジョンが入り込んで行くと、鹿の足をくわえて引き上げようと懸命だ。ところが、五十センチばかりを懸命に引き上げたのには驚きであった。そのジョンの活躍を無駄にすまいよ、穴の中へと逆さに潜りこんだ俺の指先が、何とか鹿の足をつかむ事が出来た。逆の体型をしているとポケットのタバコとか帽子まで落として、それを拾うのも大変だった。こうした苦労した甲斐があって遂に穴の外へ引き上げたのだが、休みながら思った事は蛇もタツーも出てこなかったから安心をした。五十キロばかりの若鹿
で、これで撃った鹿が十頭ばかりになったのである。その都度、家のカレンダーに印を付けているから間違いない。

 次は、夕闇の中で見えない鹿を撃った場所よりも、五十メートルばかり、我が家に向かった処で起きた珍記録である。それは、ある日の夕方のまだ明るい外出からの帰り道だった。もう少し行くと三宅家とその右側の向こうに我が家がある。森の外れに近いとはいえ、油断なく歩くことが蛮地に課された掟である。通る小道すれすれの処に名も知らない樹木が切らずに一本残してあるが、これは、枝葉の多い木で日陰になるから、残されているだろうと思われた。その木の下を通り過ぎようとした瞬間だった。「グオツグオツ、カラッカラッカラカラ」これが野獣の声か何か解らぬ。これまで聞いたこともない蛮声であった。吃驚はしたものの、どうせ鳥だろうと判断して、俺が通り掛るのを嘲笑うとは不届きな挑戦だ、「雉も鳴かずば撃たれもしまい」今に見てろ、といくら上を見ても、茂っている枝葉に邪魔されて、その怪鳥の主の所在が判らない。飛んで逃げられたら、俺の負けだ。何とかして探し出して、その正体でも見ようと、焦れば焦るほど、こちらの気迫が荒くなっていった。当たらなくとも、こいつ等を驚かすには、十分だろうと、茂っている枝の中央辺りに見当をつけて「ドカーン」と盲撃ちの一発を喰わせた。夕方の森の出口だから、我々が住む三家族の家に、当然、間近に聞こえた筈だ。それっきり枝の上では物音一つもしないで、俺は今度こそ打ち損じたかなと思って五メートルも歩きかけた時である。枝の上で「カサカサ」と小さな音がしていたかと思ったら、「ドザーッ」と、おれの後方に落下したものがある。吃驚して振り返ると、鶏ほどの大きさもある鳥が落ちてバタバタと暴れている。
「うーん、やっぱりそうだったか」と一人合点して、その妙な鳥を掴み上げて、首をひねり殺して、ぶら下げて歩きだした。二キロはあるわいと思っている処へ、再び、後方で、「カサカサ、ドサーン」と落ちた音がした。「まさか、そんなことが…」と、よく見つめると、今度も同じ奴が落ちている。紛れもない、俺が撃ち落とした奴に相違なく、触ってみると、温かいから、信ずるより他にない。盲撃ち一発で二羽の珍記録とは、願ってもないと思って、もう三羽なんてないだろうと言いながら帰っていった。三宅氏宅の前で、相変わらず掴まってしまった。彼等も、また、この一発で二羽のことを知って、あれこれ談義、一羽を差し出して、「食べてみて下さい」と言うと、喜んで受け取って下さった。
「これが、ジャックと言う鳥かい、しかし、君には誰も真似ができんよ。君がいるから、この森の奥で安心して、住んでいける」
老人のたわ言が出るんじゃないかとびくびくしていたが、意外に、誉め言葉を貰ったので、安心した。
娘の信子も精一杯の笑顔を見せて、俺の前に現れる様になって、何かこの家族に多少の変化が起きているのを感じた。

 若い男女の青年達は、土曜日の夜になると、誰となくアサイザルの合宿所の横にある倉庫に集まって来て、ここが移住地のたった一つの憩の場所だ。この建物は、移住者の荷物をあらかじめ臨時に預かる倉庫に出来ているので、大きくて広い。移住者の荷物をうまく片側に寄せて集めてあるから、広い憩の場が出来た。そこに十キロ前後も歩いて来る人をいれて、近在の日系男女と伯人とが、交ざり合ってバイレ(ダンス)を始めるのだった。何もない、むなしい暮らしの森の中から這いずりでて来る希望の灯りは、やはり此処以外にないからである。だから、都合で来れなかった場合には非常に残念さを感じ、時代の波に取り残されたような無念さを抱くことだろう。
 一週間も、それ以上も会っていない友人を見ると、その場で和やかになって、気持ちが晴れ晴れとなってくるから、若いって言うことは不思議だ。楽団は、ほとんど町からやってくるが、アコーデオンとギターと太鼓とタンバリンだけである。主にサンバだがボレロ、ホオックス等もやって、日系人は初心者が多いから、伯人の娘が良く教えてくれる。其処には、一リットル入りのピンガを持ち込んで飲む人も何人かいて、実に、不思議なことに喧嘩が起きないことだった。思ってみると二つの新しい人種が寄り合ったばかりで、喧嘩でも起こしたらお互いの人種に傷がつくばかりでなく、それ以後は除け者にされかねない。皆、ニコニコしているのが得であるのは皆知っている。だから一本のピンガを誰が飲んでも、なくなったら、直ぐ誰かが用意してくれる。親類ばかりのような場だ。
 天井から、ぶらさがっている石油ランプは、一個だけだが、日系人が町で購入してきた最新式の物で明るいから良かった。ところが、降ったり止んだりの雨季が来て、楽団が来なくなると、折角、集まってきた三十人ばかりの若者はがっかりして、過ごす。
 其処の片隅でハーモニカを静かに吹いていた俺に、「いっちょう、やってみんかい。そのハーモニカでも、踊れぬことはないだろう」と年上の男が、言ってきたので、仕方なく楽団の座る場所に行って吹いてみた。まず、「ドナウ川のさざ波」だった。が、どうしてどうして、これで踊れるではないか。それなら、こんどは「ラ・クンパルシタ」だと吹いてみると、これも、又、皆で踊ってくれたのである。だから、次から次へと、ロシア民謡、スペイン、メキシコ民謡という風に、次から次へとやってみた。ところが、休みなく吹いたので、疲れがひどかった。伯人の青年が音楽に合わせて、板や食器を叩いてくれたので、これもまた、リズムがあってよかったのである。ベルテーラと言う二十キロも向こうにある移住地から、わざわざ十人位の青年も来ていたので、これで良かったのかもしれない。しかし、踊りたくとも踊れない俺は不運の至りだ。
 あの娘この娘とそれぞれ抱いて踊る時ピッタリと密着してくる娘から、恥かしそうに離れて踊る娘まで色々だが、乙女の匂いにも色々とある様である。脂肪臭い娘もいたり、汗臭い人もあって千差万別と言いたい処だった。この中の女性が誰か一人位は俺を好きになってくれたら、と勝手な妄想をめぐらしていた。しかし、この女は、という特別な美女はいない。どうせ、女の方でも同じ様な妄想を抱いて、個々に勝手な思いをめぐらしていることだろう。
 夜中過ぎの四時頃には、バイレも終わる。楽団の人も踊る人達も疲れるからだ。三・四人がグループを作り、好きな場所に座って、雑談が始まる。俺は大きな箱の中に入り込んで眠りだした。
 ところが、その箱の横で雑談している声が嫌でも聞こえてくる。それは俺をビックリさせるものだった。
「あの西富のことだろう。友達の事だったら何でもやってくれるよ。バッター折れて野球が出来ないというと、次ぎの日は二本も買ってきて呉れたりして、威張ることもないんだ。雑誌を何冊も持ってきて、皆で持って行って読んでくれってね」「うん、俺もあの清を良く知っているが、刺身にする魚を一匹貰ったことがあるよ」しかし、どう考えて見ても、俺のことを言っているようで、そうでもない。西富と言う名前は日本広しといえども、そうやたらにあるものじゃない。こんな読み難しい名前なんか、当の俺だって気に入ってないからだし、同性の人が他にいるなんて、夢にも思わなかった。しかも、清と言う名前は、俺の亡くなった父親の名だから、正にビック・ニュースだ、しかし、黙って話の続きを聞いていると、熊本は八代市のある酒屋の息子のことだと判った。
 この連中はベルテーラからきている青年達で、夜が明けると二十キロ近くの道を歩いて帰るのだ。その遠い道を、折角、此処まで来て、この位のバイレで、終わるなんて事は物足らなさ過ぎる。
 「そうだったのかね。俺も西富というんだがね。その人と同様に今後ともよろしくね」
 「あんたが、西富さんですか。向こうの人達は皆知っていますよ。凄く猟の達者な人だと評判だよね」「それは知らなかった…。向こうの米野さんという人がいるでしょ。その人と知り合ってね。是非共、こちらへ猟をするついでに、遊びに来て欲しいと言ってたが、近い内に、都合をつけて行くからと言って欲しいんだが…」
 こうして楽しい筈のバイレの夜は、友好と親善を少しずつ深めて、若人の夢を明日に繋いで行くのだった。どんな形で終わろうと若人は、常に夢と希望を抱いているから、バイレだけでなく色々な組織があれば、移住地の発展に繋がるものだと思った。

 長谷宅はすぐ近いし、何時でもいいから、遊びに来なさいとのことで、遂に、決心をして、行くことにしたが、この家にも十四歳位になる女の子がいて、実に、行き辛かったのである。どうしてかと言えば、俺に片思いをしている様子が窺えて、何とも言えない処女の匂いを嗅ぐと息がつまりそうになる。
 とも子と言って色白の美少女だが、多少太り気味で、畑の仕事なんかしたこともないだろう。都会育ちが身についている様で、着ている着物は、何時も似合って美しい。一家四人が優しい人達ばかりで、何処かの会社勤めだったらしく、勇敢に百姓に挑むと言う奮闘心に欠けている所があった。
 倒れている大木を何本も乗り越えてムラッタ川のすぐ土手の上にある家へ着いた。俺達が何時も行き来する小道から六百メートルばかり土地の奥であるが、倒れた大木の半分は切れずにそのまま放置してある。美女揃いで奥さんと娘のとも子が飛び出してきた。同船者だが、二人の顔を見ると、俺の顔まで微笑んできた。やhり、来て良かったかなと思った。二人がお祭り騒ぎみたいに右往左往している所へ長谷氏は、近くから帰ってきた。
「ほほう、遂に、来てくれたわい。君みたいに活発な人が来ると、家の内は明るくなるよ。自分の家だと思ってうんと自由にしてくれよ」
 誰も来た事のない家に、突然、面白い奴が飛び込んできて、どんな応対をしたら良いか迷っている様子だったので、俺はハンモックを降ろして、一キロばかりの鹿の干し肉をやって、ヤス一本と鉄砲を持って下の川へ降りた。五メートルばかりの川幅で、浅いが濁っている。スボンを膝まで巻き上げて、川に入ると、まず、下流へ岸ずたいに、ゆっくりと魚を求めて進む。トライラの一キロ前後の奴がじっと浅瀬にいる。見事にヤスに刺されて、それを土手の上に投げ上げる。そして、又、反対側の岸で、もう一尾のトライラを刺して、ともちゃんが見ている処へ行って、「バケツを持っておいで」と言ったら、すぐ、取りに行って持ってきた。それに入れてやって、次には上流に静かに進む。行き帰りに、なんと二尾のクリンバタを獲ったので上々だ。
 長谷氏の台所を借りて、その四匹の魚をうまく料理してから、クリンバタで、刺身を作ってやる。「凄いじゃないか。お客の君に、こんな刺身だなんて…、ささ、一杯やろうよ」
 テーブルに四人が座るともう賑やかな夕食と化して行った。強くはないが、俺と長谷氏は、刺身を食べながら、ピンガをチビリチビリやって、雑談に熱が入り、まだご飯にも手を付けていない。
 実のところ、この家には、彼の弟のタケシと言う青年がいるのだが、移住して来て一年過ぎた頃、「こんな百姓をやっていたんでは、食べて行けん」と言って、ベレンへ仕事しに行ってしまった。だから、長谷氏一人で四苦八苦やっているらしいが、それも長続きする訳がなく、行き詰りになるのは時間の問題だ。
 そろそろ夕暮れが近づいているので、俺は立ち上がると、鉄砲を掴み、外にでた。この位の酒で、まだ、酔っていない気分であった。最近は、かなり酒に強くなっているのを感じる。雑談もそう沢山あるものじゃないし、あとは、長谷氏が好きなように、眠るのもよし、酒と刺身で、過ごすのも良いと思った。折角、猟をする為にやってきているのだから、その時間帯を逃したら何にもならない。風がない夕方の森の上を幾多のアララとパパガイオが鳴いて飛び渡る。アマゾンならではの、実に、長閑な情景だ。密かに足音を忍ばせて、耕地と森の間を進む。多少、酒は入っているが、勇気と度胸は、びっしり持ち合わせている。二十メートル前後の前方で何かチラッとでも動いたら、俺の目は、素早く反応して、全身に警戒を呼びかけるのだが、こんな時に限って野獣との出会いがないのだから、世の摂理と言うものは、よく出来ている。森から畑へ出入りする動物の足跡が意外に多いので、驚く。川が近くにあるので、やはり、近くに住みつくのが生き物の常だ。土地はよいが耕作人不足の畑は哀れな状態で可哀想である。その畑を帰りながら、タイミングが合わなかった動物との出会い、近いんだから、またやって来てやってもよいだろうと思った。幾多の運に恵まれた俺にだってこんな日だってある。家に着いたら、もう夕闇が待っていた。石油ランプに火が灯されていて、二人の女の声が小さく聞こえてきた。どの家にも一リットル入りのピンガの壜があって、何処から見てもすぐ目に着くから面白い。約一時間の散策から帰ってきた俺に長谷氏は待ってましたと「運がない時はそんなもんだ。なあに心配せんでいいさ。此処へ来て一杯やりなおしだ。森の奥ではこれより他にないからね」
 もうかなり酔っていて壁に寄りかかっているから倒れないが、覚束ないし、まともな声ではない。俺はそのピンガを少し貰って一気に飲み干すと立ち上がった。言わずと知れたハーモニカを取りにだ。そして、同じところに戻ってきて「荒城の月」「水色のワルツ」「月の砂漠」なんかを静かに吹いてやる。近くいたともちゃんが、俺に寄り添うように接近してきて聞き入っている。故郷のことを思い出しているのかもしれない。この前人未踏の森の奥で、こんな思いもしなかった音楽を聞けるなんて、夢にも思っていなかったに違いない。それを思うと、知っている曲を何でも吹いてやった。喜んで聞いている人がいると、こちらも夢中だった。だが、酒のせいで疲れがでて、遂にノックダウン。残念だが断って立ち上がると、家の外側に近い部屋にハンモックを吊って寝てしまった。俺には明日の朝のことがあるからだった。
 次の日は、夜明けと同時に飛び起きて、そっと家を出ると昨日と同じコーズの散策だ。しかしながら、不運続きの奴には、そう簡単に運が廻ってくる筈はなかった。平和な朝風は森の匂いを乗せて、今日もまた暑いぞといわんばかりに静かに吹いている。(続く)
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 この記事は「のうそん261号」2013.9(日伯農村文化振興会発刊)より、同誌と筆者の許可を得て転載しました。(Trabras )  

 

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