社会に息づく助け合いの仕組み

 

筆者: 眞砂 睦

 

5年ほど前になるが、サンパウロに住んでいた時に日系二世の友人から、「日本ではお金がないと生きていけない気がして恐かった」と言われたことがある。彼は大学で法律を学んだ優秀な若者で、日本語の力を伸ばすために2年間日本で働いた経験がある。日本はなんでも便利で治安も良いが、お金がなくなると、とたんに逃げ場がなくなり、このまま死んでしまうのではないかと不安に襲われたという。無論、外国人というハンデもあってのことだが、日本は金と命が直結している社会だという印象が消えないというのである。

その二世君の祖国ブラジルでは、富裕層のみならず、低所得層ならなおのこと、生活に困っている人々を支援することが、ごく自然に日常生活のなかに定着している。そのひとつが教会の互助の仕組みだ。人々が教会に寄付をして、教会が生活困窮者に食べ物や衣類を施す。教会は精神面のみならず、経済面でも弱い者の救いの場となっている。

  さらに最近、市民のあいだで新しいスタイルのパーテイが流行している。ブラジル人はパーテイが大好きだ。大抵のアパートの一階には広い集会場が設けられており、住居人は自由に使える。その集会場で家族の誕生日や結婚記念日など、なにかにつけて、大勢の友人や知人を集めてにぎやかにおしゃべりを楽しむ。招待された人々は、ちょっとした手みやげの代わりに、米・豆・砂糖・コーヒー・小麦粉・食用油などの日用食品がつまった袋を抱えて集まってくる。集会場に食料品の山ができる。パーテイが終わると、ホストは集まった食料品を地域のカトリック教会や非政府組織(NGO)に寄贈する。贈与を受けた教会やNGOは、それを生活困窮者に配布する。

こうして、プレゼント代わりに集まったたくさんの日用食品が、そっくり恵まれない人々への施しとなって社会に還元されていくのである。なかなか気のきいた試みだ。二世君はそんな社会で育ったのである。

ひるがえってわが日本はどうか。今年の自殺者の数は、毎年3万人を越えている。不況の影響もあってか、生活苦が自殺の大きな原因のひとつとなっているようだ。

この国には失業して住居や生活の糧を失った人々が駆け込む場所がない。政治の感度もにぶい。仏教寺院が困窮者を受け入れたという話も聞かない。生活弱者にとって、「死」はすぐ近くにある。

あの二世君は祖国ブラジルで、今も教会への寄付を続けているそうだ。

( 紀伊民報 2009.9.27 「故郷への便り 」より

 

 

 

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