ボリビアのコチャバンバから その2

 

ボリビアの移住地と日系社会等について

 

  ボリビアの移民は、1899年にペルーの一部がアマゾン川支流に入植①したのが始まりで、第一次世界大戦時のゴム景気で、更に多くの日本人が、リベラルタで開拓に入った。昨年110周年のリベラルタ日系人協会は、田村大使夫妻が出席し、盛大に700世帯とお祝いが出来たと事務長が話されていた。100年前の祖父写真②を前に日系人誇りを語る医師立石氏や伝統ある日本語教室③と神棚など見せて頂きました。リベラルタ病院④のjicaボランティアSさんには、活気がある街も案内してくれました。

 

  移住地としては、1954年にオキナワ移住地が占領下米軍の指導の元で入植し、今は立派な歴史資料館などあります。第二移住地ヌエバ小中学校⑤の校長先生に卒業生宅➅で会い、学校⑦を詳しく案内してもらい、スカイプ通信対話した卒業生と交流⑧を深めました。

1957年からサンファン移住地計画移住が始まったが、学校教育計画はなく、移住者から開拓の英雄と言われて銅像⑩もある若槻泰雄兼任校長が高校の開設も重要視して、ブラジル移住者H教師(早大卒)も呼んだ。現在は、⑪サンファン学園の⑬H校長先生も日本語教育を重要視して、教材や図書室⑫も充実しており、新しく若い日本語教師のJicaボランティア⑭Tさんが活動しています。

また、ブラジルのイビウーナ日本語学校に、私の大学の後輩でベテラン⑮教師Dさんは、TさんとJica横浜で研修し赴任しています。私は、定年退職前からブラジルの日本語教師Jicaボランティアとして、活動したかったので、トメアス⑯やマナウス移住地の日本語学校を訪ねるなどして希望を持っていました。

 

  コチャバンバ日本・ボリビア文化協会⑰は、3年前に出来た新しい組織ですが、出合会長はサンファン移住地生まれで、お互いの国の文化交流を目的にしているので、関心のある人は誰でも入れます。タイ焼きや寿司などのバザーもしますが、日本語教室も大人・子ども別で能力別に学習しています。

要請されたJicaボランティアは、医療機器保守管理ですが、全国の医療施設を訪問する時、日系社会等を知る事が出来たり、日常でも趣味や文化活動など余裕が有りますので、有意義な生活が出来ました。

 

Jicaシニアボランティア 五味茂  (2016,2,23)

 

関係映像を添付します。          五味茂より  (2014/3/23)                                    

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http://www.ongtrabras.org/jp/images/stories/PDF/bolivia2.pdf

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