ブラジル県人会の60周年

                                                              眞砂 睦
 
 今年4月27日、サンパウロで「ブラジル和歌山県人会連合会創立60周年」の記念式典が催される。県人会は戦前に移住した故・竹中儀助氏(白浜町富田出身)を初代会長として1954年に設立され、以来、県出身移住者の受け皿として新移民の面倒をみてきた。
戦後のブラジル移住が始まったのは1953年。大戦で途絶えていた日本人移住再開の道をつけたのが故・松原安太郎氏(みなべ町岩代出身)。氏は戦前の移住者で大農場主。その尽力で53年「松原移民」として戦後初めて69家族の日本人が南マットグロッソ州ドラードス市近郊の「松原植民地」に入植。うち和歌山県人が56家族を占めた。
かつての入植地周辺には、今でも多くの県出身移住者とその子弟が住んでいる。
 60周年記念式典に出席するために仁坂知事が訪伯されるが、今回初めて戦後移住の原点・松原移民ゆかりの地も訪問される。ドラードス市長との面談も予定されている。現地の方々は移住地と母国の自治体同士の交流を長年待ち望んでおられたが、その実現にやっと第一歩を踏み出す。
 ブラジルと日本は遠い。けれども絆は太い。ブラジルはこれまで、日本をパートナーとして農業・製鉄・造船・通信といった基幹産業をおこしてきた。交渉がもつれると、最後は「日本人は信用できる」という歴代大統領のひと言が決めてとなって、日本が協力者となってきた。
今では両国が手を組んで、アフリカなど第三国の開発支援に乗り出すまでになった。それほど相互の関係が深化している。
そうした信頼関係の礎となっているのが日本人移住者とその子弟たち。正直で約束を守る。勤勉で教育熱心。そうした日本人の生き方が、ブラジル人の心をとらえている。
彼らは日本人移住者や日系人を通して日本という国を見ているのだ。
だが、戦後移住も60年を経て、日系人も代替わりが進んでいる。これからも両国の深い信頼関係を継続できるかどうかは、今後の問題だ。
高学歴の人が多い日系人の3世や4世はブラジル社会の中枢で活躍している。その彼らはご先祖の母国、日本には特別の関心を持っている。世代は経ても、日系人が日伯の友人関係の土台になることは変わるまい。
60年目となる式典は、ひとつの時代の終わりであると同時に、次の新しい時代の始まりを告げる。かつて移住者を送りだした私たちは、今度はその子弟たちと新たな「アミーゴ」の関係を築きたい。それが世界5位の大国との絆の核となるからだ。 (了) (2014/1/22 掲載)    
                                   
                                    


 

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