これからの日本ブラジル関係

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【講演者プロフィール】

社団法人日本ブラジル中央協会理事  田尻慶一

1936年生まれ、東京大学法学部公法学科卒業、1960年に八幡製鉄㈱入社、1961年からブラジル国ウジミナス製鉄所勤務、1972年に新日本製鉄㈱の南米事務所設立・運営のためリオ市駐在、その後、ブラジル法人CIATE(国外就労者情報援護センター)専務理事としてサンパウロ市勤務。

社団法人日本ブラジル中央協会ホームページ
http://www.nipo-brasil.org )

 



 

1.    日系コロニア社会の変貌

 1908年の笠戸丸移民から1941年末の太平洋戦争開始までの33年間にブラジルに渡った戦前の日本移民の数は約19万人である。その殆どは農業移民であるとともに、またその多くはコロノと呼ばれる契約労働者であった。これは、奴隷制度の名残を残す、厳しい労働、それに加えてとても初期の目的は達しえない賃金労働制度であり、錦衣帰国を実現するのは不可能であった。そこで初期移民の多くは、コロノ生活を切り上げ、同船者あるいは同県人などを糾合して、集団地を形成し、その中で自営農として目的達成を期した。このような日本移民だけの「植民地」「移住地」集団が形成されると持ち前のすぐれた協調性組織力といった、日本から身につけてきた独自の文化的習性を発揮し、日本の村のような組織体を形成再現して行った。

 さらに、なれない異国の中で、農業を業とした移民たちはポルトガル語もできず、自分の生産した作物を市場などでどのように売ったらいいかもしらなかった。そこで村で組織を作り、協同の力で、販売も言葉もできる、商売の腕もある人を雇い、農業協同組合を設立した。今はすでに消滅してしまったコチア産業組合、スール・ブラジル農産組合などの協同組合がそれである。コチア組合の創設は、1927年のことであるが、この当時、ブラジルはまだ「協同組合法」の制定さえなかった。この頃、日本移民の集団地には各地に協同組合が生まれている。これらの協同組合は、その後幾多の紆余曲折を経ながらも発展し、コチア産業組合などは、南米一といわれるほどの一大組合組織までにもなった。 

 これらの農協組織は、1990年代になると、移民世代が作った日系の銀行同様、あいついで消滅してしまった。その原因については、いろいろあげられているが、その大きな原因の一つは、それぞれの組織の参加員、経営担当者の世代が変わり、創設当初に見られた強い連帯意識、協同意識がすでに失われてしまっていたことに起因するといえるだろう。
ともあれ、日本人初期移民がはじめて接触した異国の異文化の中で、敗退することなく、何とか生き延びてこられたのも、この日本古来の協調性、組織力、または連帯の意識などによる相互扶助の精神などを基に集団生活をなし得たためのものであったろう。
移民70年祭(1978年)あたりをピークとして、移民世代の造り上げてきたコロニア社会は、急激に衰微の傾向をたどってきた。移民世代の高齢化とともに、活動力の限界が来たことによる衰微が原因の一つではあったろうが、問題は、この移民世代のつくったコロニアに、二世以下の世代にこれを継承して、より盛り立てていこうとする志向がなかったことが、最も大きな原因である。


  戦前移民世代は、日本の敗戦の報を苦渋の思いを経て受け入れると、50年代になり、ようやくブラジルに骨を埋める覚悟を固めた。それと同時に、それまでの錦衣帰国にそなえての二世々代に対する日本語教育・日本人教育を捨て、ブラジル社会での上昇手段として、高学歴を身につけさせることにもっとも力を注いできたのである。この苦闘はみごとに報いられ、二世々代以降の日系人は、ブラジル社会の中では、とび抜けた高学歴所有者となり、ブラジル人一般よりもはるかに高い所得を得、各界に深く浸透して行った。その結果、彼らはコロニアを遠く離れ、移民世代が期待していたように、コロニア社会に戻ることは遂になかった。そして、コロニア社会は移民世代の高齢化とともにやせ細ってきたのである。

 

2.    日系社会の現状

 日本からの移民は、戦前に19万人、戦後に7万人合わせて約26万人である。そして、日本人の血を引くもの、日系人はブラジル全土でどれくらいいるか。1988年移民80年祭時に、人文研(サンパウロ人文科学研究所)が行った調査では、122万8千人であった。
 これ以降、どこにも信憑性のある調査はないので、この人文研の調査を基に現状を推計すると、既に150万人を超え、もうすぐ160万人になろうかと思われる。このうち、約30万人がデカセギで日本に来ている。このように、日系人数は数の上では間違いなく増加して行くことになるであろうが、その日系人を構成する内実はどうなるのか。
まず、88年の時点ですでに大幅に混血化が急進していた日系人構成の混血度の現況を推計してみる。

(1)    二世々代は、88年時点混血度は6%であった。同世代は現在では、既に高齢化しているので、混血度はその後さらに高まったとは考えられない。

(2)    三世々代の調査時の混血度は既に42%の高率であった。その後三世々代はどんどん増加し、人口構成ではおそらく、現在、日系人の中心を占めていると考えられる。従って、この22年間にさらに混血度は高まり、少なくとも三世々代は最低全体の60%が混血になっていると推定される。

(3)    四世々代は22年前、その全体数は少なかったが、四世々代は当時においてすら既にその半数を越える62%が混血であった。従って、現在においては四世々代の少なくとも80%は混血であろう。

(4)    上記のような急速な混血度の高まりの中で、88年時の調査では、まだ数が少なく、統計の中には数字としてあらわれなかった五世々代は、現在出生している日系人としては最も多く増えているに違いないが、前記の傾向から見て、おそらくは五世々代の100%近くは、ほぼ混血であり、非日系の血の混じっていない純血の五世がいたとしたならば 、それはまさに希少価値的な存在と見ても良いほどに少ないのではないかと、考えられる。

 日系人とはいえ、このように日系度が1/2,1/4,1/8と薄まって行くと、日系人意識というものは急激に失われて行くことはまぬがれず、要するに三世以下の世代は、ブラジル人一般と変わりのない存在なのである。したがって、現在既成のコロニア社会に帰属意識を多少なりとも持ち、何らかの関わりを持っているものは、日系人全体の1割程度以下、10万にも満たないのではないかと思われる。
  ことほど左様に、ブラジルの日系社会は、100年の歴史的経過の中で、日本人の容貌を消していってしまった。多くの民族・人種が集まって構成する「移民国家」とも言われた新大陸の国々の形成の中でも、こんなに急速に他民族と混交し、原型を消して行っている人種は珍しいのではないかと思われる。USP(サンパウロ州立大)の人類学・社会学の教授で、日本移民研究をしていた、エゴン・シャーデン(故人)が30年以上前に「戦後こんな急激にブラジル社会の中に同化していってしまった移民人種というのはみたことがない」と言っている。
  現在の進展度で日系人の混血化が進んで行くと、まず「ニッケイ」という言葉が消えてしまってどこでも使われなくなるであろう。また、移民世代が持ってきた日本文化(移民文化)なるものは後継世代に継承されることなく、断絶し、急速に消えてしまう率が非常に高いだろうと考えられる。
  FUVEST(USPをはじめとする大学数校の統一入試)の合格者のなかで、日系の占める割合は年々増加し、そのピークは90年~91年ごろで、18%に達するまでになった。そして「大学に入りたければ日系受験者を一人殺せ」という不穏なピアーダ(ジョーク)が流布されたのもこのころであった。ところがFUVESTの日系合格者はここをピークとして、年々低下しており、ある調査によると、最近はブラジル人一般とあまり変わらなくなってきている。いって見れば、一世移民世代があれほど苦労して二世々代に高学歴を身につけさせた高学歴志向という日本伝統の文化も、後継世代において混血が進むにつれて失われて行くのだと思わざるを得ない。

  「ニッケイがこれだけブラジル社会に同化したのだから、それでいいのではないか」という声もある。「同化」とは、それぞれの移民人種が人種的なこだわりも捨て、持ってきた文化も忘れて、ブラジル社会の中に完全に溶解することである。戦前30年代のヴァルガス政権は、強制的ともいえる同化政策をとった。 しかし、近年では、戦前とは変わって、逆に多人種・多文化社会を認めるようになり、ブラジルという国を構成する各人種が、それぞれの民族的特徴を生かして、全体的にまとまる統合社会を理想として行くようになっている。
  そうした戦後の時代になって、日系社会は二、三世々代がブラジル社会に浸透して行くとともに、急激にヴァルガス政権が求めた同化傾向をたどってきている。それをよしとするのも一つの見識かもしれないが、多くの日系人にとっても、また多人種・多文化主義を良しとするブラジル社会にとっても、それは決して望ましいあり方とはいえないであろう。

 

3、われわれのなすべきこと

 梅棹忠夫元国立民族学博物館長が、ブラジル移民70周年国際シンポジュームの基調講演‘われら新世界に参加す‘の中で次のように述べている。
  「統合ということは、文化的なアイデンティティを全く失ってしまうことを意味するのではない。ブラジルについて言えば、日系人が日本的文化の諸要素を完全に失ってしまって、ブラジル基層文化の中に吸収され、埋没してしまうことではない。日本の文化的伝統の中に、この国の発展のために役立つような部分があるとすれば、それを大いに役立ててこそ「統合」の実があがるのではなかろうか。社会的統合ということと文化的多元主義ということは必ず両立するものである。このブラジルにおいても人種的混合は着実に進行するにしても、それぞれの文化的伝統はある程度保持されつつ、文化的多元主義による新文明の形成という道をたどるのではないだろうか、そのとき、日系社会における文化的伝統は、新しいブラジル社会に何を寄与し、何を貢献することができるだろうか・・・・たとえば、われわれの文化的価値体系の中では勤勉という徳目が極めて高い位置に置かれていることはよく知られている事実である。それから知的活動性、緻密な頭脳と科学的合理主義、そして、それを次の世代に確実に伝達するための教育への熱心さ、さらに日本の文化的伝統的特性をつけ加えるならば、その高度な組織力ということをあげるべきであろう。それは、人間関係における誠実さ、協調性の高さ、団結力などの形であらわれてくる。・・・

  文化的伝統は遺伝的血統の問題ではない。いかに混血が進もうとも、これらの高い資質は、家庭、学校、社会の努力を通じて、確実に次の世代に伝えることができるものである。・・・文化的伝統の継承というものは、人間から人間への伝達によって可能となるものである。」 ブラジルの日系社会の現状を静観視し、消極的に手をこまぬいて傍観しているならば、かつて26万の移民があり、二世々代をも通じて、ブラジル社会の多方面に貢献を果たして来たことも、やがて忘れられ、日本移民、日系人の存在した意義も消え去って行くことになるであろう。
  そうならないためには、日系後継者のみならず、ブラジル人一般に対する日本語教育を含む「日本文化の普及」に力を入れることである。
長い伝統を持つ日本人のつくりあげてきた広い意味の日本文化の特性、良き資質を、日系後継世代を含めたブラジル国民の間に普及させて行くこと、それには、何をおいても、日本文化普及を基本理念とした組織的な教育機関の創設である。

 それは単に日本文化を知らしめるだけではなく、ブラジル社会に役立ち得る日本文化の良き資質の涵養を校風とし、学園在校生を通じて育成し、彼らを通じてブラジル社会に徐々に浸透させて行き、やがて各民族「統合」のあかつきに形成されるであろうブラジルの新文明に貢献することを目的とすることである。
 残念ながら、「日本文化」を海外・外国・外国人に知らしめようという積極的意志・意識は日本の日本人(政治家・財界人その他一般国民を含めて)のみならず、ブラジルの日系人にも、殆ど存在しない。 日本はその国の成り立ちのころから、遣隋使、遣唐使を派遣し、海外の文化を積極的に取り入れ、自家薬籠中のものとして、日本文化を創りあげてきた。このように、海外文化の受信能力は他に類をみないほどすぐれた民族ではあるが、自国文化を他に普及し、知らしめようという発信能力は今日に至るまで欠如していると言わざるを得ない。

 一方、欧米諸国は、海外における自国文化の普及に努力している。
ドイツは、ゲーテ・インスチチュート・ドイツ文化センター(半官半民)をもってドイツ語と同時にドイツ文化普及を目指しているばかりでなく、ドイツ系コレジオ、ドイツ商工会議所、ドイツ総領事館ともども協議会を立ち上げ、ブラジル社会に、いかに有効にドイツ語・ドイツ文化を普及させるかを協議検討し、その結果を全国で実施している。
 さらに、ブラジルに移民社会があるわけでもないのに言語を含め、自国文化の普及に日本人には考えも及ばない多額の資金を投下しているイギリスやフランスの例もある。
 これは、植民地経営経験から、海外における自国文化普及が自国の国益と直接つながっていることを経験的に知っているからにほかならないだろう。それが植民地を喪失した現在でも生かされているということである。
なお、僅かに6万人といわれる韓国移住者が移住35年にして300万ドルの資金をつくり、本国政府の300万ドルの助成を得て、韓伯学園を数年前に創りあげたのは強烈な民族意識によるものであろう。 

 他の移民先進諸国は、自国文化のよきものを基盤としたコレジオ(初等、中等教育一貫校)をそれぞれ作り、その中で、すぐれたブラジル人を養育すべく長年にわたって努力を続けてきている。ドイツ系のポルト・セグーロ、フンボルト、イタリア系のダンテ・アリギエリ、スペイン系のセルバンテス、イスラエル系のペレツ等がそれである。いずれも母国の文化や言語に強い誇りと自信をもち、移民とそれを送り出してきた本国、さらには進出してきた企業が一体となって必要な経費を拠出してきている。いずれも校風・施設・教師人・生徒数・大学進学率・就職先などの面で、ブラジル有数の名門校として圧倒的に高い評価を得ている。
 その根底にあるのは、それぞれの民族が、自国文化を後継世代に伝えると同時に、ブラジル国民にもその良きものを普及させて、自国に対する理解をもとめるとともに、新しいブラジル文化の形成に参加したいという移民社会および本国政府の強い意慾があったからにほかならないし、「海外における文化投資は直接目にはあきらかには見えないが、長い目で見れば必ず国益となって戻ってくるものである」という強い信念があるからである。

 日本文化普及を基本理念とした組織的な教育機関の創設というのは新しい構想のものではない。もう何十年も前から繰り返し、蒸し返し議論され、検討され、一度として実現の運びに至らなかった「日伯学園」なのである。たとえば、宮坂国人・文協第3代会長の「モデルスクール構想」(1965年)、延満三五郎・文協第4代会長の「総合学園構想」(1971年)、日伯文化連盟による「日伯学院構想」(1981年)、山内敦・文協第8代会長による橋本龍太郎総理への「日伯学園構想」提案(1996年)、直近では、2001年から2003年にかけて、ブラジル日本文化協会の中に「日伯学園検討委員会」ができ、種々調査討論を重ねたが、結局 「小中高案」と「大学案」を併記するのみにとどまった。

 ヨーロッパ系のエスニック系コレジオにはまだ及ばないとしても、日系社会には、本国の支援なしに、独力で頑張っている、日本文化普及を基本理念とした総合学園がある。いずれもブラジルの学校法人として認可され、ブラジル教育省の求めるカリキュラムに基づく教科をまなびながら、その中に日本語や日本文化(生け花、茶道、書道、和太鼓、柔剣道等)の教科を取り入れている。そして、日系人に限らず、広く一般ブラジル人を対象としているので、各学園とも生徒の中で日系人が占める割合は、一部の例外を除き、20~30%にすぎない。しかし、歴史的にも日が浅く、資金面でも脆弱で、規模としても小さい、いわば揺籃期にあるこれらの学園をいかに強化し、いかに支援して、エスニック系の学園に匹敵するブラジル有数の学校に育てて行くかが、これからの課題である。いずれの学園も資金難に悩まされながら、学園関係者の献身的な情熱と努力によって、それぞれがまったくの独力でその存続が維持されており、日本語の教科にしても、教師(そのほとんどが、日系三世・四世)・教材・教授法などの面で統一した体系を欠いているのが実情である。いうまでもなく、日本語にせよ日本文化にせよ、その源流は母国日本であり、これらの学校も、母国朝野の指導や援助をまって、はじめて十分に機能し、その効果も上がるものといえよう。したがって、いずれの学園も日本側との組織的、継続的な協力のルートを確立することを切望している。
 こうした課題にこたえようとして、2007年に、これらの学園の代表的な7校が中心となり非営利のブラジル法人「日伯教育機構」を立ち上げた。
 この機構は、各学園に共通する課題の解決を目指して、日本側に一括して要望を取り次ぐとともに、日伯両国政府および関係諸機関に対して、教育に関する折衝、連絡などを一元的に行うことを主要な業務にしている。

 問題は、これに対応する日本側の体制をどう構築するかである。日本ブラジル中央協会が少なくともこの機構に対する一次的な窓口になれればと願うものである。
 前述の梅棹忠夫館長は同基調講演の中で「文化的伝統の継承というものは、人間から人間への伝達によって可能となるものである。しかし、逆にコミュニケーションの断絶は文化の断絶をもたらす。もし、日本文化が世界に何ごとかを貢献できる可能性を持つならば、われわれ、日本文化の系譜をひくものたちの間で、常に文化連帯をこそ、はかってゆかなければならない」と述べている。即ち、ブラジル社会に日本文化の良きものをもって貢献するにしても常にオリージェンとしての日本に太いパイプを結び、断絶のないよう連帯をはからなければならないということである。

 先にドイツが、ドイツ語・ドイツ文化普及のための協議会を作り、効果を上げているといったが、これと同様な、日本語普及のための組織を国際交流基金の中に数年前に設立し、3年にわたって年2回検討会議が開かれたが、基金が独立行政法人に移行した途端に、予算不足ということで一番先に切られしまった。またつい最近、基金が借りていた多目的ホール(文化講演、日本映画上映、日本語学習者のスピーチ、コンテストなど、あるいは絵画などの展示会)も予算の都合で維持困難のため閉鎖することになった。日本政府の文化事業は全滅に近い。
 先に述べた、「日伯学園検討委員会」が出した「大学案」の流れをくむグループがその後検討を継続し、現在、別紙の「日伯国際大学」構想を検討している。

 


(日本ブラジル中央協会 ランチョンミーティング講演 : 平成23年1月19日(水)於:アークヒルズクラブ)


                                    


 

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