西富 文博 ウビンの森 その2「ジャングルの幸運児」

 

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【筆者プロフィール】

 

 西富 文博 (にしとみ ふみひろ)

 

1937年7月14日、熊本市健軍町新外に生まれる。
1954年9月アメリカ丸にて渡伯、同11月1日着伯。
パラ―州モンテアレグレ移住地に辻計画移民として入植。
二年後にサンパウロ州ミランドポリス市へ移転。
1958年にアリアンサ移住地の産業組合の従業員として勤める。
1976年9月車の事故で退職。現在に至る。
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 日曜日だし、今日こそ、ゆっくり休みたいと思って、昼寝していると、二時間もすると、若い身体が疼き出してくる。性分なのだろうか、それとも野獣を求めて歩くことに生甲斐を感じるようになったのか。せめて日本語のラジオか、新聞、レコードでもいい、キャッチ・ボールをする相手でもおればなおいいのだが、しかし、現実には、枯れ木の山と緑の森ばかりなのだ。
 我が家から、三キロメートルばかりの第二次移住地に、松田登という、俺より三つばかり年上の青年がいる。彼は木村家の構成家族としてきた青年で、田舎育ちらしくて、言葉も行動も乱暴だ。同県人の誼かどうか知らないが、年下の俺には親切で、友人として色々と教えてくれるのだった。彼もまた、狩猟が好きで、クチアやタツー、ジャブチ(陸亀)、ジャック等を撃って自慢にしているが、まだ鹿や、猪を撃ったことはないらしい。それを実現させるには、相応の勇気と機智がいる。百メートル前後までジャングル内に侵入しても大物と出逢う機会は少ない。彼は俺の奮闘話を聞いて知っていた。しかし、森の奥へ一人で侵入していく勇気がない彼は、そこら辺の小物の猟に甘んじているのだった。
俺が、なぜ、森の奥へ挑戦していくのが好きかというと、もともと、小さい時から,独りぼっちで育ってきたのである。歳の離れた兄や姉とは、ウマが合わず、八才になった時に戦争が終わった頃は、周りから置き去りにされたような存在だった。百姓も町の人も生きていくのが精一杯だったから、やんちゃ坊主はほって置いても、勝手に育った時代だった。だから気力、迫力にかけては、誰にも負けないという気迫があった。
松田青年が、突然やってきた。これから猟に行きたいので連れて行ってくれ、とのことだった。俺も一度は、この男と猟に出てみてもいいなと思っていたので、「よかろう、これから支度をするからね」と、少し待たせた。彼は少し小柄だが、肥えているし、服装は、俺に似て薄黒い色のシャツとズボン。これは外敵に目立たないように、各自が研究しているものだ。
わが家の下の小川を伝わって、東方へ進むことにしたが、出発する直前に、森の中を進むに当たっては、二人の位置と範囲と、その他のルールを取り決めた。勝手な行動は、絶対許されないのが、複数で猟をする時の掟である。
だから川より上の土手から二十メートルの位置に俺がいて、それよりは三十メートル奥を松田青年が、俺に合わせてゆっくり進む。どちらかが、もし、立ち止まった場合は、自分も止まる。そして、状況次第で、相手が迷ったら合図をしてやる。だから、もし相手が何かを見つけ、こちら側に銃口を向けていたとすると、刹那的に身を避けないと危ない。普通は手で合図をするのがよいのだが。
そうして一キロメートルも進んだ時だった。二人の進む中間に、あまり大きくない木が倒れていて、まだ枯れ葉が沢山ついていたが、その内部をくまなく見つめていると、ジット座ったまま、俺を見つめている鹿を発見。と同時に鉄砲を持ち上げる瞬間に、松田青年が、三メートル程、後方にいるのを察知すると同時に、鉄砲が火をふいた。
「ダーン」
突然、静かな森の中が目覚めた様だ。白煙が消えぬ前に二人は、そこへ走り寄った。首と頭に散弾が食い込み、バタバタ暴れている。二人でそれを押さえつけて、松田青年が、ファコンの背で二度ばかり鹿の頭を叩いた。「やったぁ、やったぁ、こんな所に寝ていたのか…」俺は、それには答えず、自分の腰に吊るしていた綱の束を取って、小さい綱を取り出して、鹿の後足二本を縛り出した。まだ、結んでいなかったのである。鹿は、突然、バタバタと大暴れし出して、遂にその綱を解放して、立ち上がると、走り出した。それでも撃たれているから、小股で走るし、二人が立っている所をグルグルと円を描いて走るので、二人は吃驚して見ていた。鹿の神経は、錯乱しているから、その内に引っくり返ると思った。そして大木に真っ向から激突して、倒れたのである。松田青年は、馬乗りになって抑え込んだのはよいが、ひざの上を嫌というほど、鹿の後足で蹴られたのである。「アー、イタイイタイ、イー!!」それでも、びっこを引きながら、鹿の後を走る彼を見て、俺は舞台劇じゃあるまいし、やめとけば、いいのにと思った。その時だった、彼は鹿の後方二メートル位のところから、頭を狙って、自分の鉄砲で撃ったのである。鹿はその場で即死だった。だが彼もその場に座りこんで、痛い所をもんでいる「大丈夫かね。痛くて、歩けなくなると大変だよ」「この位で歩けないと言うと、男が廃るよ。痛いけど、歩くのは大丈夫さっ」この位で済んだから、不幸中の幸いだった。臆病な鹿は、足で蹴って逃げるのが、身を守るための武器だ。以後は気をつけないと、誰にでも起こることだと思った。俺は、早速,鹿の足を縛りあげて、一人で肩に担ぎ上げた。「オイオイ、二人で担いでいこうよ」「いいんだよ。せいぜい六十キロ位の鹿だ。その代わりに鉄砲を持ってもらおうか」
二人はそうして我が家まで一キロくらいの森の中を進んできた。「いいかね、松田さん、一休みしてから、あんたの家まで、このまま持っていくんだ。この鹿は、あんたが撃ったことにしよう」彼は「それでいいんかい」「当たり前だよ。痛い目にあわせてしまったしね」彼はずっとビッコ引きながら歩いてきたのである。水を飲んで、煙草をすってから、再出発だった。まだ、彼の家までは二キロ以上あるが、普段慣れた、小道と森があるだけで、第二次移住地へ出る。こちらから二番目の右側に彼の住む土地がある。セッセセッセと二人は森の中の道を急いだ。そして出口に近いところで、一応、止まって休むと「ここから、先は二人で担いでいこうよ。それでないと、俺のプライドが許さないんだ。若い君に担がせていってはね」彼はそう言うと、近くにある手頃な生木を切った。それを鹿の前後の縛ってある足の中へ差し込むだけでOKだった。思ったより、意外に彼の足は痛くないようで、歩調を何とか合わせて彼の家にたどり着いた。
さて、それからが大変だった。鹿を撃ってきたというだけで、家中が大騒ぎのパニック状態だし、隣り近所にまで走り回って知らせる始末。なんとそれからの二人は英雄扱いである。何人かの人々が見に来て、ほめ言葉やら、鹿を撃った時の状況やらを聴くので、答えるのも大変だった。
鹿のいる里で、鹿を撃つなんて、簡単だと思われがちだが、実際はそう簡単なものじゃない。臆病な鹿は敵を察知するのが素早く、危険だと察すると、パッと飛び跳ねると、脱兎の如く左右に飛び上がって逃げる。が、その速力たるものは、他の何にものより速いのである。鹿の持っている特技は相手を蹴って逃げることだけだが、左右に五メートルも飛ぶ力があるので、その足跡を探すのは、容易でない。だから鹿だと察すると、同時に頭か首を狙って一瞬のうちに引き金を引くのだ。十頭ばかりの鹿を撃った俺の研究は、もうここまで進んでいるのだった。
皮剥ぎと肉切りが始まった。初めての鹿を料理するのだから十人近くの人が騒ぎながら、和やかな雰囲気を作り出して、強いピンガまで仲間入りして、「実に、田舎だなぁと思った」。
俺は二キロばかりの肉を貰うと、帰る用意をした。「松田さん、二、三日は蹴られたところが痛いかもしれないが、すぐ良くなると思うよ。気をつけてね。それから皮を張るのは、うまく張らないといけないよ」そう言うと、「肉は皆で分け合って食べて下さい」夕方の道を皆と分かれて帰りだした。
まだ、二キロばかりの森の中を帰るのだから油断はできない。それにしても今日のアクシデントも無茶なものだったと思った。落ち着いて対応していれば、蹴られずすんだのにと思った。澄んだことはとやかく言いたくないが、俺だって、これから気をつけないといけないと思って道を急いだ。

その松田青年がいる木村家に、ある日、俺は農作業の手伝いに行ったことがある。主人夫婦と息子の安夫君(一八歳位)と松田青年だ。安夫君は、親似で、狩猟もできないくらい大人しい青年である。だから、気力旺盛な、松田青年が色々な仕事に先に立って、活発に働いていた。そこへ俺は、何かの手伝いに行ったのであるが、思い出せないのが情けない。
仕事は、早く終わって、夕食の時間となった。ひと間の広い炊事場の真ん中に、この家族にしては、大きすぎるテーブルがあって、俺はその端に座った。すると、暫くしてからは、どう考えても蛇の匂いがするのだ。その事を言っていいかどうか迷ったが、結局、言う事にしたのは、もし、蛇がこの部屋にいるとしたら、大変危険なことだからである。「木村さん。さっきから、気になっていたのだが、どうも蛇の匂いがして、仕方ないのですよ。どうしますか。みなで探してみますか」「えっ、蛇の匂いがするって、それは大変だ。今すぐ、皆で探してみよう」それで大騒ぎとなって、余り道具も家具もない部屋の一つ一つ調べ出した。しかし、結局は同じで、何処を探しても蛇は出てこなかった。「どうも、僕の勘違いだったかも、知れません。騒がして申し訳ありませんでした」そうして、もうこれ以上いても仕方がないから、蛇騒動の後味の悪いのを機に、帰ってきた。俺としたものが確証もないのにあんなことを言ってしまって、不愉快であるし、穴でもあったら入りたい位に恥ずかしい思いをしたのである。
次の日から、タバコの葉の収穫で、畑の中で葉をむしり取っているところへ、松田青年がやってきた「居た居た居たんだよ。蛇が。やっぱり、君が言った通りだったよ」開口一番にまくし立てた。「へえっ、そうだったかね」
俺が木村家から去った後に「西富君が、あんなことを言ったので、どうも気にかかる。一応、探してみたが見つからなかった。最後に残った、このテーブルを調べて見るより他にない。オイ、みんなで、ひっくり返してみよう」四人の力で、テーブルは横向きになった。ところがである。俺が座っていた場所の半メートル以内に、じっと静かに潜んでいたらしい。そこはテーブルが古くなって、ガタガタと揺れるので、それを防止するために、二枚ばかりの小板でとめてあるところらしい。どこからテーブルの裏側へ潜り込んだかといえば、椅子を這い上がって行ったのだろうとのこと。一メートル以上のジャララッカを松田青年が叩き殺して事は決着したが「おい、西富のところに行って言って来い。君のお陰で、誰も蛇にかまれずにすんだ、とね。足が痛いのは、ゆっくり歩いていけば、運動になるだろう」と言う事だけで、彼はわざわざやって来たのだ。
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サーッと夕方のスコールが来て去ると、密林の中は、いつまでも、雨の滴がシトシトと落ち続ける。空気は清々しくなって、青臭い森の匂いに変わり、俺は、その匂いが好きになっていた。これこそ、酸素が作り出されてゆく原点ではないかと思っている。俳人ならば、きっと、良い句が浮かぶかもしれないが、この時点の俺には、とてもじゃないが、そこまでの余裕が欠けていたのである。そんな時、枯葉は濡れて湿り、その上を踏みつけて、歩いても、音がしない。だから、猟をする俺にとっては、最高の時である。濡れた畑に仕事はないし、猟友も近くにはいないから、俺一人だけの散策が続くのである。鉄砲を片手に、暗くならないうちに帰るつもりで、これから夜にかけて、食物も探して歩く動物を求めて、森の道へ入った。森の道とは言うけれど、何とか人が一人歩けるだけの道だ。この道を一キロも行くと、同船者の長谷氏宅がある。空が暗いから夕方も森の中も、かなり暗くなりかけているし、静まりかえっているので、不気味さを感じる。
まだ、二百メートルばかりしか進まない時だった。前方の右側二十メートル程先から枝葉を蹴って道を横切ろうとした鹿を発見、すかさず、持ち上げた鉄砲の銃口は鼻先あたりを狙っていた。
「ダーン」
鹿は、左側の森へと逃げ込んだ。俺も、その後を追って森へ飛び込んだ。二十メートルも走りこんだ鹿は、それ以上を走れずに、ひっくり返ってバタバタと、もがいていた。早速、ファッコンを引き抜くと、その背で、鹿の頭を叩いて殺した。少し小さい鹿だったが、よく見るとネズミ色をしている。これは鹿じゃなくて、山羊を撃ったのじゃないかと、錯覚したほどだ。しかし、まぎれもない鹿である。こんな鹿もいるのかな、と不思議に思った。それに雄の鹿だが、三センチばかりの角まで皮がかぶっているから、一寸、グロテスクだった。余り、大きくないので、それを肩にポンと担ぎ上げて、大急ぎで帰ったのであるが、どうしても三宅家の家の前を通り抜けるので、皆が外に出ていて、それに捕まった。鉄砲の音が近くでしたので仕方がなかった。
「また、やったね。…そうかい。走っている奴を撃つなんて、誰にも出来んぞ。矢張り、君はただ者じゃないね。凄いじゃないか」
又、その誉め言葉を貰ったが、嬉しさは半分で、さっさと帰ってしまった。義兄の坂口と皮を剥いだり、肉を切ったりする仕事があるからだった。
それはそれで、スムースに処理して、肉も皆に配ってしまったが、後で母が言ったのは「これまでの肉で、これほど、まずかったのは、初めてだ」と。勿論、俺は野生動物の肉は食べないので、それが甘かろうが辛かろうが、気にしないで居た。
後日のことであるが、第一移住地内の田上宅の横に住むメンソと言う男が言っていた。「その小形の鹿は、ベアード・ホイセと言って、あまりいないが、肉は不味くて、干肉にすればいい」とのことだった。彼は中年男の独身で、小さな小屋に、一人で住んでいるが、犬だけは、いつも六匹ばかりの猟犬を持っていて、この界隈では、誰知らぬ者もない、おとなしい男である。

それから二週間ばかりすぎたある日の夕方、第一移住地の石黒という人の店に買い物に行っての帰りだった。友人と出逢って雑談が弾んだのが遅れた原因にもなったが、三キロの道でも、日頃、通っているんだから、どうという事もないのだが、吠え猿は、今日一日に何事もなかったように、長く尾を引かせた声で吠えている。一匹の猿の声が途絶える寸前に、別の猿が吠え出すのでバトン・タッチもうまいものだ。俺は鉄砲を持っているとはいえ、森の小道だけは、敏捷に歩いて帰るに限る。懐中電灯なんてありやしない。森の道だから、危険極まりないことは承知だし、運を天に任せるよりほかにない。昼間は、どこかに隠れて眠っている野生動物達が、活動に入る時間だからである。
三キロメートルばかりの最後のジャングル内の小道に入って、あと四百メートルと言う所で、歩道が暗くなってしまった。勿論、両側の森の中は暗闇となってしまったから、こうなると今度は、急ぐのをやめて、逆に、抜き足差し足で周囲に気を配りながら、一歩一歩、用心して歩くよりほかない。恐怖は感じないが、もしもの事故でも起きたら、明日まで誰も、行き交いもない森林の中から、我が家に向かって大声で助けを求めても、聞こえるかどうかだ。
その時だった。突然、前方二十メートルほどの右側の森より、左側の再生林にかけている長谷宅の耕地へ、バサバサと何者かが走りこんだ音がした。それはどう考えてみても、鹿のようであるが、確信はできない。二十メートルも向こうだからである。だから咄嗟に鉄砲の撃鉄をおこして、一歩一歩とひそかに近づいていった。左側の半分闇の中を見つめる。一度、切られた森が再生しかけていて、人の背丈ほどに延びた枝が多い。森の中より少し明るいが、俺の胸から下あたりは、もう暗くてよく見えない。無駄だろうとは、思いながらも、その辺をこれでもかと見つめ回した。ところがである。葉ずれ一つしない無風状態のそこに、不自然なものを発見したのだ。どう考えて見ても鹿の耳らしきものが、二つ立っているのが、ボンヤリと見える。だからといって、逡巡している場合でなく、迅速を要する瞬間だ。ええい、ままよ、一発の損害で済むならと、その辺だろうと見当をつけて引き金を引いた。
「ダーン」
その音は、それこそ夜に突入したばかりの森の中を、どこまでも走りぬけたに違いない。三宅家から我が家まで聞こえたのも確実である。それきり、その辺は物音しない静けさだ。もしも鹿がいて、撃たれて倒れたとしたら、バタバタと暴れて、うめき苦しむのが当然のはずである。だから、あれは俺の勘違いであって、木の葉が鹿の耳に見えたのかもしれないと思った。だからといって、このままにして、帰れば心残りがするに決まっている。だから、撃った以上は無駄でも、このアクシデントに終止を打つために、闇の中を靴先で蹴ったりして探してみた。撃った場所は、この辺りであり、逃げた音も聞こえなかったのだから、矢張りいなかったのかと思って、最後の靴先が、小枝が茂る株の根っこに触った時だ。柔らかい感じだったから、急いで片手をさしのべてみた。「やったぁ」まさしく暖かい鹿の腹がそこにあった。一発で急所の頭はグシャグシャに潰されての即死だった。信じようと、信じまいと俺が撃ったものだと確認した。それを小道まで八メートルばかりを後ろ足二本をつかんで引きずり出した。丁度その時、坂口と三宅家の長男次男も灯火を点してやってきた。「ありゃありゃ、また、やったね。こんな暗くなっているのに、どうして、撃てたんだね」彼ら三人に、その経緯を一部始終言ってきかせた。「それにしても、俺達にゃ、出来ない事だ、やっぱり、君は猟の達人になるぞ、運の強い男だ」
もう、誉め言葉には慣れてしまったから、平気だ。それから、天秤棒を作ってやると、力のある三宅兄弟が前後して担いで行ってくれた。これも、また、六十キロ前後はあったが、一度も休まずに彼の家の土間に着いた。そこへ三宅老人が出てきた。「又、かい、もう言う事はないよ。君は凄く運の強い男だが、蛇やサソリに気おつけなさいよ」そんなことは、百も承知だが、一応お礼を言って、その場を借りて皮と肉の解体に移った。勿論、俺は皮と肉を貰って帰ったが、今回も又、肉を三つに分けたので、皆の笑顔に接したので嬉しかった。
母は「また撃ったかい、気をつけないと、暗いのだから、何が起きるか、こちらが心配するよ」と言うし、もう暗い森の中では猟をするのは止めようと思った。三宅家では一杯飲んでいかないか言われたが、それは鄭重に断って帰ったが、それには一つの秘められた理由がある。
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俺より三つばかり年下の信子と言う美人の娘がいる。色が白くて、なんとなく美人だし、ダンス会に行ったら、必ず踊ってくれる。しかし、俺には恋愛というものが大の苦手だし、信子の肌から、甘い匂いを感じとっても、知らぬふりで、誤魔化していた。好きになったら何処までも好きになるから、あの嫌な親父さんの事を思うと、その気配さえさせてはならないと思っていたのである。
ところが、或る日の夕方のこと、見てはならないものを見てしまった。それは俺が最初に鹿を撃った場所の近くを、鉄砲を持って、散策していた時だ。夕方かの日が入る寸前だから、西日が当たっている三宅家の水浴場とは知らず。八十メートルばかり藪の中から、そこに動くものが見えたので、よく見ると信子である。彼女は素っ裸で浅い小川に立って、白い素肌を洗っているのだった。何と言っていいのか、周りの緑色の葉の中に、突然、美女の裸体が夕日に照らされて、そのコントラストは見事な絵にもなりそうで、清清しく美しかった。誰も見ていないと判断したのであろうか、藪の中をひそかに去った俺の頭は錯乱していた。エデンの園の中から、突然、妖艶なシルエットが浮かび上がった如く、引き締まった処女の裸体がなんとも美しかったことか。
その信子が勇気ある逸話を作ってくれたことには吃驚した。女一人で、石黒家へ買い物に行き、帰りの都合で遅くなり、それを予期していたのか灯火用の石油ビンを森の出口に隠しておいたので、それに火を点して、森の中を一人で三キロも歩いて帰ったとの事。こんな冒険的な行動は男だってそう矢鱈に出来るものじゃない。それをやってのけた信子に拍手を送りたい。
岡山県出身の長谷宅は、三宅宅の隣に違いないが、一キロも向こうのムラッタ川の辺にある。だから、余程の用事がない限り、行く人はない。俺も行った事はないが、この人にも貰い子の娘がいて、行き辛いのだった。ところがある日、俺に何とかして、来て欲しい、君のような鹿撃ちの名人に来てもらうと、必ず取れるから、その肉で一杯やりたいのだ、と言うことだった。その兄貴とあまり歳は違わない、弟はベレンへ仕事を探しに行って、留守だし、娘の美和は美少女で、一四歳くらいの大人しい娘で、そんな所へ行く気がしなかった。だから、その内に行きますと言っていた。
移住地の人々は、みな、川べりに家を作って住む。それは便利で、大変、よいことだが、風土病や、あらゆる野獣が好んで住む。この辺はジメジメとした湿地帯ではなくて、川の土手までカラッとした乾燥地でよいが、ダニやムクイン、毒の蝶だっている。
或る日の午後、森の中をソッと歩いていると、俺の前方八メートル位の所で、「スーッ」と言う木の葉が擦れる音がする。立ち止まって、よく見るとそれは、何と偉大なムカデであった。頭はよく見えなかったが、一メートル半は、正にあった筈で、最初は蛇かなと思った程だし、百以上もある足が小枝や葉を蹴散らしていく音は、正に、驚異的で、長く尾を引いた音を立てて、逃げ去った。これこそ世界中のあらゆる動物学者も発見していないものと確信している。普通のムカデの大きさは、せいぜい二十センチもないほどだ。それが一メートルを超える偉大な奴なんて見た事も聞いた事もなかった。こんな奴に、もし噛まれたとしたら、どうなるか、それこそ、毒蛇以上の毒を持っているかもしれないと思った。広大なアマゾンの森の中には、今でもこんな途方もない怪物がいるのだから、もっと、この宝庫に目を向けてもらいたいものだ。
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入植してから三ヶ月ばかり過ぎたある日、ブラジル人が住む百姓家へ行って、犬の仔を一匹貰ってきた。この伯人の家にはマリアとマダレーナと言う双生児の姉妹がいて、一人は黒人系で、太っているし、もう一人は色白の美人で、じつに対照的だ。一八歳位の年齢だが、いまだに恋人もおらず、大人しい性格だし、ダンス会があると、俺達とよく踊ってくれる顏馴染になってしまっていた。他の兄弟や両親もいい人達ばかりであった。仔犬を貰ったのだから、そのお礼にと、日本で買ってきたタオルを一枚プレゼントすると、もう家を挙げての大騒ぎだった。そのタオルには、公園の美しい絵がかかれていたから、こんな物は見た事もないといった感激と嬉しさで、何回もお礼を言ってくれた。だから、この人の一家とは家族ぐるみで交際させて貰った。
後日のことだが、或る日、この人の家の前でダンス会があって、一般の大勢の人々が集まってきていた。満月が照らす広場に灯りなんて必要がなくて、踊りが最高潮に達している時だった。俺は一人の友達と、この家の暗い軒下で、背を壁に寄りかけて立っていると、二人の娘が家から、踊り出る如く、突然、俺達の目前に来て、屈み込んで「シャー」としはじめた。トイレもない森の奥だから、林の中に駆け込む余裕もなかったのだろう。二人の目の前で、広いスカートの中に両手を突っ込んで、パンツを下げる風情が、なんとも言えない怪しいエロチックにみえて、すぐ横に立っている二人は固唾を飲んで、その一瞬を微動もせずに見守っていた。そして、その二人の娘は、俺達が其処にいることを知らずに、立ち上がると何食わぬような顔をして、静かに立ち去ったので、ホッとする。実は、明るい家の中より、いきなり外に出ると、暗い壁に立っている人が見えない場合だってあることだ。思いもしなかったハプニングが目前で起きたことは、大変な衝動であった。アンデスの町では、インジオの女が、こんな事をして、平気で居ると、何か本で読んだことがある。
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 貰って帰った仔犬は、俺に抱かれたまま帰ったので喜んでいた。そして、呼びやすい名と言うことで、「ジョン」という名にした。牛乳がないので、粉ミルクを与えていたが、スクスクと病気もせずに、育ち、何処へ行くにも、俺の後を付いてくる。大きくなるにつれて、猟犬になれる資格も少しづつ整っていくが、蛇を見つけて、死にもの狂いで吠えたり、鶏を殺す時、ジョンはその一羽だけを追っては押さえつけて待っている。だから、よいことをした時は誉めて抱いてやると、喜んで呉れる。こうして育てた犬だが、一つだけ困った事があった。
それは森の中に入ったら、俺の前を五十メートルも走って行くので、こちらはお手上げで、猟にならない。それを教えるのに、五回ばかり猟に出た。まず犬に向かって言ってやる。相手を見つけて撃つのは俺の仕事だ。お前は俺の後にいて、鉄砲が火を吹いたら、突撃して追っていくこと。それをゼスチュア混ぜて説明してやったが判るはずはない。俺が森の入口へ着く頃は、もうちゃんと前進していて知らぬ面をしているから困る。そんな時は、犬を呼んだり帰ってくるまで、辛抱強く待つより他になかった。それでも、やって来ない時は、こちらで勝手に方角を変えて入り込むから、仕方なく、匂いを追ってやってくる。そして俺を抜いて、前方へ走り出る時は「アトラーイス」と大声で怒鳴ってやるから、以後は仕方なく付いて行く様になった。又、俺が、突然、立ち止まると、何事かと、鉄砲を見あげ、ドカーンと言う銃声と同時に突撃するようになった。
こうなったら、鬼に金棒で、うまくいくから、その都度あとで、抱き上げて、頭を撫でてやるのだった。こうして猟犬に育てるのも、一口に言えない、苦労があった。(つづく)
 

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 この記事は 「のうそん259号」(日伯農村文化振興会発刊)より、同誌と筆者の許可を得て転載しました。  ( Trabras )  
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