「頭」にモノを載せて歩く人

 

新聞ネタに頼り過ぎ、文章が冗長でオチもツマラナイ、はっきり言ってマンネリ!……。実はそんな風に思われているのでは? そんな風に考え始めてから文章を書き発表する勇気を失い雲隠れ。7月に一時帰国した際に加藤理事長、田中理事から叱咤激励を受けたことで復活のきっかけをつかみ、このたび半年ぶりの再登板となりました。長いブランク。いまさらなんだーのヤジが飛んでくるのは覚悟の上です。

再開を決意するにあたっては過去の「日々巷間」を振り返る作業から始めました。まず気づき反省させられたことは、どの記事においても添えられた写真・イメージが新聞の切り抜きやネット検索画像であるため、文章を読む気が喚起されないことでした。

これからはオリジナル写真で勝負してみよう、と思います。わたしが暮らすノルデステ=ブラジル北東部の光や影が、風や匂いがさりげなく伝わるものにしてみたい、そう考えています。新生・日々巷間。またしばらくお付き合いいただけましたら幸いです。 (2013年9月20日 小林大祐)


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 2012年6月 サンパウロ市のセー広場界隈

 

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 2013年3月 カルアルー市の市場

サンパウロ市のノルデステ(ブラジル北東部)といえば、旧市街セー広場界隈が思い浮かびます。啄木の短歌「故郷の訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く」の上野駅がそこには重なります。

かつて近くに住んでいた時はノルデステの人々や文化を訳もなく遠ざけていた自分がいたような気がします。その後ノルデステに暮らすことになり、すでに滞在数年になる現在ではサンパウロ市に出かけた際にセー広場界隈を歩くと不思議な安らぎを見出す自分がいることに気づかされます。

サンパウロ市ではノルデステ出身者に対して「怠け者」といった厳しい評価や「貧しい」というステレオタイプなイメージがいまも根強くあります。ですが、調べてみますと、サンパウロ市に移住後成功したノルデステ生まれの偉人たちはブラジル史の中でも特別の輝きを放っていることが分かりました。

近代絵画の名作を多数所蔵するサンパウロ美術館(MASP)を建てたメディア王アシス・シャートーブリアン、ヴォトランチン財閥の創始者ジョゼー・エミーリオ・デ・モラエス、ブラジル屈指の難関校・航空技術大学(ITA)の建学の祖でのちのEmbraer(航空機メーカー)の礎を築いたカジミロ・モンテネグロ・フィリョ、かのアインシュタインに「後継者」として指名された物理学者マリオ・シェンベルグ。そうそうたる顔ぶれです。

北東部の血を引く人の中に特別な頭脳の持ち主が目立つ理由を考えていてふと思い浮かんだことがあります。それは、ノルデステ出身者には「頭」にモノを載せる人が結構いるのでは、ということです。写真はサンパウロ市のセー広場界隈とペルナンブッコ州カルアルー市の市場で撮影したもの。合成写真ではありません。ノルデスチーノ(ノルデステの人々)の「頭」には何か重大な秘密が隠されているのかもしれません。   

 

 

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