【ニッポン歴史探訪】小田原城(おだわらじょう) その2


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 関東管領・上杉憲政との約束を実行するのに先立ち、越後の長尾景虎は、将軍足利義輝(よしてる)から後北条征伐の直々のお墨付きを貰います。景虎はいよいよ、1560年、憲政を押し立てて関東に出兵します。関東で年を越した景虎は、彼に従う関東の多数の武将も加え、1561年3月 、小田原城を攻撃します。北条氏康が、戦力の消耗を避け、徹底した籠城策をとったため、景虎は攻略を断念します。しかし、鶴岡八幡宮に上杉の名跡と関東管領の地位を継承したことを報告します。以後、上杉謙信(うえすぎけんしん 長尾景虎から改名)は、ほぼ毎年関東に出兵することになります。一方、氏康は、甲斐の武田、駿河の今川と結んだ相・甲・駿の三国同盟で謙信に対抗してきます。しかし、桶狭間での敗戦による今川の凋落著しく、1568年、信玄が一方的に三国同盟を破棄しました。そのため、氏康は、謙信に領地を譲歩して、越・相同盟を結びます。これに信玄が腹をたて、1569年、武蔵から南下して小田原城を包囲しますが、北条側の籠城作戦を嫌い、すぐ撤退します。追尾した後北条勢は、三増峠(みませとうげ 神奈川県愛川町 35.5572279 , 139.2816210 )で撃退されます。

 1571年、氏康が病没すると、後継者の北条氏政(うじまさ)は、越・相同盟を破棄し、武田信玄と
相・甲同盟を結びます。1574年、氏政は、謙信側の関宿城(せきやどじょう 千葉県
36.1012669 , 139.7824860 )を攻略、ここを足場に勢力を下野(しもつけ)国の南半分にまで広げます。こうして、1582年頃、後北条の支配地は関東一円に達し、関東で後北条の支配が及ばないのは、常陸(ひたち 佐竹領)、安房(あわ 里見領)、下野の北半分(宇都宮領)くらいとなります。 1580年頃、氏政は、家督を5代目氏直(うじなお)に譲り、隠居しますが、実権は放していません。

 ところで、織田軍が、1582年3月、甲斐の天目山(てんもくざん)で武田勝頼を敗死させると、信長は上野国支配のため滝川一益(たきがわかずまさ)を上野国 に派遣します。同年6月、本能寺の変で信長が倒れると、氏直は素早く滝川軍を攻撃し、上野国の支配権を取り戻します。しかし、豊臣秀吉による天下統一が進み、後北条が頼りにしていた徳川家康も、1586年、秀吉に服従したため、後北条は急速に孤立してゆきます。1587年、島津が屈服し、全九州を支配した秀吉は、関東及び東北の大名・武将に’私戦’を禁ずる「惣無事令 そうぶじれい」を出します。
 こんな状況下、既に秀吉が、利根川東の沼田城( 36.6482705 , 139.0383983 )は後北条領、利根川西の名胡桃城(なぐるみじょう 36.6697442 , 138.9914489 )は真田領と裁定していたのに、1589年10月、後北条の沼田城代が真田側の名胡桃城を攻め落とすという事件を起こしました。秀吉は、これを後北条側の「惣無事令」違反とみなし、小田原攻めを決定します。

 1590年1月、徳川家康が駿府城を出撃。続いて前田利家・上杉景勝連合軍が北陸から信濃を経て関東に攻め入ります。秀吉も4月小田原城を見下ろす石垣山
(35.2348936 , 139.1279411 )に本陣を構えます。前田・上杉連合軍は、4月、上野国の支城をつぎつぎと攻め落とし、5月には武蔵国に攻め込み、城主の北条氏邦(うじくに)みずから籠城する鉢形城(36.1095190 , 139.1959190 )に少々手こずりながら6月14日降伏させ、八王子城(35.6526410 , 139.2530823 )は6月23日の一日で落城させました。このように後北条側の支城は6月中にほとんど陥落し、残るは小田原城と忍城(おしじょう)だけとなりました。後北条側は評定を重ねた結果ついに敗北を認め、7月5日、小田原城を開城しました。
忍城(36.1377707 , 139.4540495)だけは石田三成(いしだみつなり)の水攻めに屈せず頑強に抵抗を続けましたが、7月16日、やっと開城しました。こうして、5代、約百年間、小田原城を本拠として関東一円に君臨した後北条氏は滅びました。なお、主戦派の北条氏政と弟・氏照(八王子城主)は切腹、氏直(家康の娘婿)は高野山に送られました。

 その後、豊臣秀吉は、駿府城を居城とする徳川家康を後北条の領地であった関東に移封します。その命令に従い、家康は江戸城を居城とし、小田原城に腹心の大久保忠世(おおくぼただよ)を置きました。後北条時代の善政のせいか、いまでも市民の多くが後北条びいきです。
(終り) 黒瀬記(2011/6/9)
 

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