企業も文化振興に協力を (宮尾 進)

 

  この記念行事が他とちょっと変わっていたのは、お祝いのカクテールに先立って、ブラジルでも名の知られている日系の福田音楽院の弦楽オーケストラ・グ ループ「カメラッタ・フクダ」の演奏が、招待者に披露されたことであった。アンサンブルの効いたなかなか良い演奏で、楽しい音楽会であった。帰りにいただ いたおみやげを開けて見たら、これも同じカメラッタのビバルディの「四季」などのCDで、早速聞いて見たが、素晴らしい演奏であった。

 そう言っては失礼だが、日系の企業としては大変気のきいた、しゃれた記念式典の演出だと思った。

  ブラジルの日系からもこんな良い音楽グループが生まれているということを、広く企業関係の人たちにも知ってもらうことになったと同時に、企業自体も単に 経済活動だけではなく、文化活動にも理解を持って協力していることを示し、企業のイメージ・アップにも大きくプラスになったのではないかと思われる。 

 

  そう言えば、住友銀行は今に始まったことではなく、もう20年も前から基金を作り、そこからの利潤を毎年日系のみならず、ブラジル一般の若い研究学徒に 奨学金として出し、ブラジルの文化・科学振興に寄与しておられる。この奨学金の授与式に列席する機会が今年もあったが、研究プロジェクトを出してこれに応 募し、委員会の審査をパスしてめでたく奨学金を手にすることの出来た研究者の出身地を聞いていると、北はフォルタレーザから南はリオ・グランデのサンタ・ マリアの大学までの、広い範囲にわたっている。審査関係者のUSPの先生の話によると、毎年5人程の受賞者に対し、150~200人もの応募者があるとい うからしても、研究費が簡単には手に入らないブラジルの研究者にとっては、どれ程ありがたいものであるかわからない。

 住友銀行がブラジル人一般を対象に、このように文化振興の面にも協力しておられることは、やはりこの国で40年という長い歴史を築いてこられたことの中から、いかに利益を有効に社会に還元すべきかを、学び取られた結果であると推察し、尊敬申し上げる次第である。

 

  さて、住友銀行の例を挙げさせてもらったのは、企業というものは何をおいても一意専心利益追求に努めるべきことはわかっているが、進出企業、地場産業に関 わりなく、その姿勢として利益の僅かなりとも、何らかの形でこのブラジルの文化面の振興のため力を貸すという方向にあってもらいたい、と私は考えているか らである。

 私たちの研究所は数年前日本外務省の委託で、「ヨーロッパ主要国における 対伯移住者に対する各種施策」について調査したことがあった。そのことで移住主 要国であるドイツ、イタリア、ポルトガル、スペインの各国総領事館を訪ね、いろいろな項目にわたって調べてみたが、結論的に言えば、これらの国々はブラジ ルへの移住は日本のそれに較べてはるかに古く、それぞれ一世紀半もの歴史をもっており、現在新移住者があるわけではなく、後継世代はすべてブラジル人なの だから別に移住者に対する援護というものを今更考える必要もないわけで、(その点、日系社会もいまや同じ時点にきているといえる)そうしたことは一切考慮 していない様子で、自国系のブラジルにおける人口がどれ程いるか、ということさえ余り関心はないといった態度であった。

 

  そこでこれらの国は今、自国のために何に一番力を入れているかというと、いずれの国も文化活動に対してであった。各国とも自国の文化をブラジルで普及さ せるために、語学普及をはじめ活発な文化活動を行っている。イタリアはコレジオ・ダンテ・アリギュリ、ドイツはコレジオ・ビスコンデ・デ・ポルトセグーロ とコレジオ・フンボルト、スペインはコレジオ・ミゲール・デ・セルバンテスを持ち、本国政府を始めとして、それぞれのコロニアや企業が大きな援助をして、 自国語及び自国文化の普及に力をいれている(ポルトガルはかってのブラジル宗主国であり、同文の国であったので、自国語を普及させる必要はなかったのだ が、彼らもまた本国文化普及のために独自のコレジオを作ろうという動きがあることを最近知った)。

 

  このコレジオのほか、各国は自国文化普及のためにそれぞれ「文化センター」を持っているが、中でもドイツはドイツ語普及を兼ねた「ゲーテ・インスチチュー ト独伯文化センター」をサンパウロだけでなく、ブラジルに四カ所も持っている。「ゲーテ」はもちろん日本にもあるが、たとい移住者は皆無であっても、イギ リスの「クルトゥラ・イングレーザ」、フランスの「アリアンサ・フランセーザ」などは、広く知られた語学普及を兼ねた文化普及施設で、各国に所在してい る。新しいところでは、イスラエルが最近大きな文化普及センターを建設中で、話題をまいている。

(失 われた80年代)といわれる高度インフレのために経済的に疲弊していた85年に、私たちはドイツ系のブラジルでのドイツ語、ドイツ文化普及のあり方に ついて詳しく調査したことがあった。その結果わかったことだが、ドイツ系はドイツ語を含めて、自国の文化をこの国に普及させることに、ドイツ政府(当時は 西ドイツのみであったが)だけでなく、ドイツ系コロニア、ドイツ系企業が一致協力して如何に努力しているかを見て驚いた。いろいろドイツ語で書かれた資料 ももらって来たが、日本よりもひどい敗戦で廃墟となったはずのドイツは、敗戦後5年目には国会議 員による調査団を海外に派遣し、今後のドイツ文化普及政策 は如何にあるべきかを検討立案している。その文化政策の骨子は、第二次大戦前及び戦中のドイツ対外文化政策は、「優秀なドイツ文化を誇示し、その輸出をは かるものであったが、それは常に失敗の繰り返しであった。これからは一方的な文化輸出に代わって、相手国を対等なパートナーシップとして文化のギブ・アン ド・テイク(Partnershuftlicher Geben und Nehemen)が肝 要であり、国際協調の強化を実施して行く方向に転換を計るべきである。このようなストラテジーのもとに文化政策を推進していけば、必 ずや長期的に当国の利益につながることになるというものである。こうした対外文化政策理念のもとに、ドイツ政府は敗戦後僅か6年目の1951年以来、外務 省を通じてこの政策を推進し、ドイツ海外学校建設をはじめとする海外文化普及費として、51年には135万マルクであったが、それから年々この予算は急増 し、34年後の私達の調査した時点では実に500倍近くにもなっていた。東西ドイツ統一後の現在、その年間予算はどれほどになっているのか、いま手元に資 料はないが、この調査をした時点での予算は、同じ対外文化普及のための日本の国際交流基金のそれと比べ、ちょうど10倍の額であった(ついでに言えば、現 在でもそうだろうが、イギリス、フランスの海外文化普及予算というものは、ドイツと較べても更に抜きんでて大きなものであった)。

 

  ヨーロッパの国々は何故これほど自国文化の対外普及に力をいれるのか。ドイツの場合、公館及びドイツ語教育関係者あるいは企業の人たちが口を揃えて言うと ころによれば、ドイツは日本同様海外貿易に頼らなければならないのと同時に、海外直接投資もまた非常に大きい。現在ブラジルだけでもドイツ系企業数は 1000社近くもあるが、この企業を保持し発展させて行くためには、ドイツ系だけでなく、ブラジル人一般が一人でも多くドイツ語の知識を身につけ、ドイツ 文化に理解を持ってくれることが重要なのである。そのためにはそうした人材の長期的な育成をしなければならない。海外文化普及に大きな投資をしているの は、そのためであると。

そうした理念に基づいての文化普及であるから、本国政府のみな らずドイツ系企業の協力援助も非常なものである。一例を挙げればポルト・セグーロ校(これは ドイツ系移民が作ったコレジオで、戦前はドイツ学校といわれていたが、今年で創立120年、去る10月にはブラジルの教育相も列席し、記念式典があった。 本国からも教師が十数人派遣されて来ており、企業関係子弟のためにドイツ教育省のカリキュラム・コースも併設されている。サンパウロのコレジとしてはレベ ルの高い有名校である)が、カンピーナスの近くヴァリーニョスに80年代、分校を建設した際に、同方面に多いドイツ系企業は、数百万ドルの寄付をし、ゲー テ・インスチチュウトが成人向けドイツ語教師養成コースを作る際にも、企業は5年間に200万ド ル相当の助成をしてくれたという。これらの成人向け教師は 現在120人程が育ち、ブラジル各地の公立校などでドイツ語教師として活躍している。更にサンパウロのドイツ商工会議所は、フンボルト校(これもドイツ移 民の作った学校で、ポルト・セグロ校同様本国のカリキュラム・コースも併設されている)のセグンド・グラウ(高校過程)卒業の生徒(同校の卒業者は殆ど 80%がバイリンガルである)を対象に、専門職業教育を実施するため、同校と協定して1982年から2年 コースのドイツ系企業要員の養成学校を設け、「工 業経営管理アシスタント」、「データ・プロセス・アナリスト」、「バイリンガル・セクレタリー」の各コースを設け、在学の一年生」には毎月最低給の1.5 倍、二年生には2.5倍を支給して、バイリンガルの企業向け人材を養成している。

この ほか、ドイツ語・ドイツ文化普及をもっとも有効に実施するため、ポルト・セグーロ校、フンボルト校、ドイツ総領事館、ゲーテ・インスチチュート、ドイ ツ商工会議所の5者による研究グループが作られ、半年毎に二回定期的に集まり、ドイツ語教育の現状分析、改革の必要点、普及活動の影響効果といったことな どを研究検討している。更に南部三州の同様組織とも連絡をはかり、より一層の普及活動に努力している。

 

 おそらくは、政府関係、企業関係の人たち、また当地の日系社会の人たちすべて含めて、日本人にはヨーロッパの国々が海外で自国文化を普及するために、なぜこ んなにも力をいれているのかは理解出来ないのが、いつわりのないところであろう。その一つの証拠に、日本政府も戦前は在留邦人子弟を対象に、日本語教育に 力を入れて来たが、それは日本語を通じての「日本臣民教育」のためであって、ブラジル人一般への日本文化普及などは、まったく考慮の外にあったし、これま での日系コロニアなるものもまったく同様、日本語教育は即「日本人教育」であったために、90年の歳月を経た今日まで、これらヨーロッパの国々のように、 ブラジル人をも対象としたちゃんとしたコレジオ一つ作ることもできず、その機会がようやく訪れたかに見えたいまもまた、一向に建設の気運は盛り上がらず、 いたずらに時を過ごし、停滞・頓挫している。

日本の政治家にも、国民にも、経済大国と いわれるまでになった現在においても、対外日本文化普及に多額な投資をもって大きな努力を注ぐといった態度は、こ れまで見られなかったことは事実である。一体ヨーロッパとのこの違いは何に由来しているのか。これをここで論じてもはじまらないが、やはりその根元は日本 という国の有史以来の歴史的地理的状況がいまもなお、尾を引いているのではなかろうjか。

大 陸と海を隔てた日本は、遣隋・遣唐使の昔から外国の文化を受容・変容して自らの文化として来、近代に至っても明治以後、更にその傾向は激しくなり、西洋 文化を貪欲に一方的に吸収して来たのみで、自国文化を海外に積極的に普及させた経験は、台湾・朝鮮を併合・植民地化した一時期を除いてなかった。そこらへ んに世界中の大国になったいまもなお、外国への文化輸出・文化普及の必要性・重要性が理解出来ないでいる理由があるのではないか。

 

 日本人は金あるいは数字で表現されたものだけを尊重している。誰もが目先のこと、来年のことだけしか考えていない。バブルとは結局そういうことだったのだろ うが、いまもなお、目先の利益しか見ていない。学問とは百年の計の土台なのだ。長い目で見ればそれらはすべて利につながっている」といったことを書いてい る人があったが、この学問という言葉を文化に置き換えてみれば文化投資など一見無駄のようだが、長期的に見ればそれは必ず日本の利益につながるものである ということを信念とし、たといささやかなもの、どのような形でも良いから、企業の方々もまた、この国の文化振興のためにも協力していただきたいと思うこと 切である。   

(「ブラジル報知新聞」1999年新年号)

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