永田 久「BRICSとブラジル」

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【筆者 プロフィール】

永田 久 ( ながた ひさし)

 

1929年 東京都練馬区に生まれる。聖学院高校を経て1951年に国立宇都宮大学農学部農芸化学科卒業。 在学中バスケットボール学生選手権大会関東代表(東京を除く)となる。大学卒業後中学校教師の傍ら(洗礼を受けてないので聴講生として)聖書神学校へ通いもう少しで牧師になるところであった。
父上は力行会創始者永田稠(しげし)氏。力行会(1897年創設。苦学力行からとったいわれる)は海外への発展の重要性を訴え海外移住の指導をし苦学生や移住希望者に便宜を与えた。北中南米、東南ア、旧満州等へ約3万人を送り出した。
1952年 ブラジルへ「ブラジル農業視察者」として来伯し永住権をとり第三アリアンサで15年農業に携わる。着伯前年父上が来伯しブラジル4Hクラブ(よりよい農村、農業を創るための活動組織。米国農務省管轄)を作ったのでその普及に全伯を回った。夫人の病気によるサンパウロへの転地を期に1969年に「のうそん」を創刊した。「のうそん」の名の由来は当時は日本人移民は農村にしかいなかったから。初めは新聞社に印刷を依頼していたが経費が嵩むので自分で印刷する事を考えた。
1975年 謄写版からコピー機への過渡期に日本企業が競って印刷機を買ったが使いきれずにホコリをかぶっているのを安く譲り受けて自分で印刷を始めた。戦時中勤労動員で行った理研発条で機械類をいじったことが「のうそん」印刷に役立った。メーカー(スエーデン製)も講習会を開いていた。
4Hクラブ時代に回った地方で日本語を読める人の名前を集めていたので当初5000軒を回って配った。
現在は1300部発行。近年部数は減少気味だったが漢字に仮名振りを始めてから部数は安定した。
奥さんと二人きりで発行しているので経費がかからないので続いていると謙遜している。(富田記)

 

 


 

BRICsとは、何か

2003年10月、アメリカの投資銀行「ゴールドマン・サックス」から一つのレポートが発表された。タイトルは、「BRICsと見る夢・・2050年への夢」という。
 このレポートは、当時、「ゴールドマン・サックス」に勤務していた若きインド人女性社員ルーバ・ブルショサーマンによって、投資家向けに書かれたもので、BRICsは、ブラジル、ロシア、インド、中国の四カ国の国名の英語の頭文字を並べた造語である。
 「BRICsと見る夢」の内容は、衝撃的なものであった。
 今後、ブラジル、ロシア、インド、中国の四カ国が、目覚ましい勢いで発展し、2039年には、四カ国の経済規模が、現在の主要先進七カ国(アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、カナダ)の経済規模の合計を上回ると、いうのである。更に、また、2050年の国別の経済規模は、次の様になるだろうと言うのである。

一位・中国
二位・アメリカ
三位・インド
四位・日本
五位・ブラジル
六位・ロシア 

の順になるという内容だった。今までは、

一位・アメリカ
二位・日本
三位・ドイツ
四位・イギリス
五位・フランス

という順位は、半ば不動のものと考えられていた。
 だが、世界経済の勢力地図が大きく塗り替えられる可能性を示唆したこのレポート以後、BRICsは、世界経済を語る上で、欠かせない事柄として、認識されるようになった。
 実際、BRICsの人口は、26億人、世界人口の45%を超えている。生産人口、消費人口という点からみても、秘められている可能性は、半端なものではない。

 我々の住むブラジルが、今、BRICsの一員として、大いに注目されている。なぜ、いま、ブラジルなのか、ポイントをまとめてみよう。
 先ず、南米大陸の約半分を占める広大な国土(850万平方キロ)を有し、2億人近い豊かな人的資源がある。しかも、国民の平均年齢は、28歳と圧倒的に若い。労働人口、消費人口という点でもこれからの国である。
 そして、鉄鉱石、石油と豊かな天然資源がある。そして、コーヒーや大豆、エタノール生産輸出でも世界トップの国である。そして、エタノール車を普及させるフレクス車や、そのための、インフラも既に整備されている。
 さらに、航空機や自動車など高度の工業力を必要とする分野でも、着実に、業績をのばしている。
個人消費も爆発の一歩手前である。と、いうことであるが、この程度の知識なら、我々は皆知っている。ここでは、この知識を一歩進めたいと思う。
 そして、こうした面で、低調な日本が、日本の企業が、このBRICsの、ブラジル発展に、取り残されないための一助となれば、とおおそれたことも願っている。

 

エタノールと石油と電力
 大まかに言って、ブラジルのエネルギー消費100のうち、40が石油、40が電力、20がアルコールその他と言えるだろう。
「1973年」のオイル・ショックは、世界を揺るがせた。ブラジルも大きなショックを受けた。それまで、ブラジルの石油は輸入に依存していた。ブラジルは、これを契機に、他国への石油依存からの脱却を目指した。
 その一つが「プロアルコール計画」である。もう一つが、リオ・デ・ジャネイロ沖の大西洋カンポス堆積盆の海底油田の発見である。
 この結果、ブラジルは2006年には燃料の自給体制を確立した。
 現時点では、石油は、効率のよいエネルギーであるが、地球温暖化、埋蔵量の限界、供給地域の政治的不安定の問題を抱えている。石油の次の燃料としてエタノールは、極めて、重要である。ブラジルは、それを見つめて、着々と前進している。
 現在、私達は、この広いブラジル中、どこのガソリン・ポストでも、いつでも間違いなくエタノールの給油を受けることができる。そして私達の使っている乗用車は、かっては、ガソリン車かエタノール車かであったが、現在は、殆ど全部が、フレックス車である。
 フレックス車というのは、ブラジルで、ポッシュやマニエティ・マレーリが、開発したもので、2003年4月に、オックス・ワーゲンが「コール」に採用したのが、きっかけに、市場に出回ったものであるが、燃料が、エタノールとガソリンがどんな割合で混じっていても、同じように走る車である。
 これまでは、自動車技術は、欧米、日本によって、主導されてきた。しかし、世界で、エタノール燃料の利用が進む時、このブラジルのフレクスの技術は、自動車技術の主導への、ブラジルの参加を意味するものかも知れない。
 かように、砂糖キビの栽培技術に始まって、エタノールの生産量、生産技術、その利用技術、インフラ整備でも、ブラジルは世界の最先端を進んでいる。
 これほどの規模で。独自のエネルギー戦略を推し進めている国は、ブラジルをおいて、他にはない。

 他国への石油依存からの脱却を目指したもう一つの方策は、油田の開発にあった。
 石油ショックの年、1973年に、リオの沖、最初の海底油田・カンポス油田が発見された。
 そして更に、ブラジルでプレ・サルといわれる、岩塩層の下の超深海油田の発見は、2006年、サントス沖のツッピー油田の発見から本格化した。
 超深海油田プレ・サルの埋蔵量は、最低でも、500億バーレルとみられ、ブラジルの既存の埋蔵量130億バーレルを加えて630億バーレルとなり、一躍世界第八位の埋蔵量になるというのだから、衝撃的なニュースだった。    

 

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 このプレ・サルの埋蔵地域は、サンタ・カ・タリーナ州からエスピリト・サント州までの長さ800キロメートルにわたり、沖合300キロメートルのことろに、幅200キロメートルにわたって広がっている。
 この油田は、水面下5000から7000メートルの深さにあり、これまで、ブラジルが開発・採掘してきた2000から3000メートルの深海油田とは比べものにならない位、採掘が困難だといわれている。しかし、ブラジルの深海油田開発の技術は世界一であり、そのおかげで、プレ・サルも発見ということになったのである。技術者は自信を持っている。
 こうして、ブラジルは、石油の他国依存脱却どころでなく、4・5年後には石油輸出国になる見通しがついた。
 そして、これは単に石油増産だけでなく、この開発プロジェクトに伴う、膨大な機械設備、部品、電子機器、造船など様々な業種へ発注が増え、技術者の教育、育成、雇用につながり、税収も増えることだろう。

 ブラジルの電力事情に付いても語らなければなるまい。
 先ず、発電方法から考えてみよう。

   水力発電・・・・83.2%
   火力発電・・・・ 8.4%
   原子力発電・・・ 4.1%
   その他・・・・・ 4.3%

 これを見ても、水力発電が、ダントツである。これを国際的に見ると、次の表のようになる。この「各国の発電方式」には少しの疑問点もあるが、各国の傾向は判ると思う。

  アメリカ 中国 日本 フランス
原子力発電 20% 2% 22% 79%
ガス発電 13 0 22 9
石炭発電 51 77 27 5
水力発電 8 18 11 12

水力発電所の中で、ブラジルが誇るのが、世界一のイタイプー発電所である。出力1260万キロワットであり、ダムとして作られた人口湖の大きさは、日本最大の湖「琵琶湖」の2倍、発電能力は日本の黒四発電所の40倍近くという大きなものである。土木工事は、勿論、設備のかなりの部分が国産の技術によるものだ。
 この他にも、アマゾンにあるツクルイ発電所(出力800万キロワット)も稼働して久しい。また、北東ブラジルに建設中のシンゴ―発電所(出力300万キロワット)もある。
 こうした大発電所を幾つも抱えながら、まだ、潜在水力発電能力の五分の一程度しか、利用されていないと言うのだから、驚かされる。
 将来、電力を大量に必要とする産業は、世界各国からブラジルに集中するようになるかもしれない。

 こうした、前途有望なブラジルの電力事情に於いても泣き所がある。
 ブラジルの電力の消費地域は、リオ、サンパウロを中心に、ブラジルの南部地方である。そして、その地域に電力を供給していたのが、主として、南部で、開発された水力発電所によるものであった。それで、南部地域には、新たに発電所を設置するに適した場所は、非常に少なくなった。
 それで大型の水力発電所がブラジル北部に設置されるようになった。消費地域から、一千キロ、二千キロ、二千五百キロの遠隔の地になった。
 この長距離送電のための、施設、維持の仕事、電力のロスの問題なども、人類が経験したことのない仕事である

先号の第252号で、アメリカの投資銀行「ゴールドマン・サックス」の報告書によると、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)の四カ国の経済規模は、2039年には、現在の主要先進七カ国の経済規模を上回る。そして2050年には、ブラジルは世界第五位の経済規模になるだろう、といわれている。そこで、私は、ブラジルについての知識を一歩進めたいと思って、「エタノールと石油と電力」と言うことから書き始めた。
 しかし、筆足らずというか、その後、知ったことがあるので、追加したいと思う。
 超深海油田プレ・サルの発見についてであるが、この油田の探索技術についてです。これは、船から海底にむけて、音波を発信し、その音波が地層に入り込み、反射して、戻ってきた音波を捉え、分析すると言う先端の探索技術を使用して、発見したのもである、ということ。

 これと、もう一つ、エタノールに関する世の誤解がある。
 最近の穀物の高騰の責任は、エタノールの生産増加にありとし、その主要な生産国であるブラジルが,非難の対象になっていることである。
 エタノールの原料には二種類ある。一つは、穀物(トーモロコシや小麦等)を原料としているものと、いま1つは砂糖キビを原料としているものである。
 穀物を原料としてエタノールを作っているのは、主としてアメリカとヨーロッパ諸国であり、ブラジルでは、砂糖キビを原料としている。
 従って、穀物の高騰の責任は、ブラジルにあるのではなく、アメリカ、ヨーロッパ諸国にある。

世界の食料の増産
 ブラジルの農業を語る前に、世界の農業の将来を考えてみたい。
 先ず、一番始めに、考えたいことは、世界の人口は2050年には、何人になるかと言う予想であるが、色々調べると、次ぎのようになる。
  高い予想・・・106億人
  中位の予想・・ 90億人
  低い予想・・・ 77億人
予想とは、随分、難しいものの様である。中を取って、90億人、30%増加をとって、色々と考えて見たい。現在は、世界の人口は68億人と言われている。

 こうした人口の増加に対して、食糧生産がこれに伴うか、が問題となる。
これに明確に予想したものが無いのである。あまりに悲観的な報告が多いので、予想が出来ないのかも知れない。

 ◎この人口が30%増加するなら、食糧も30%増加させればよいというわけだが、そう簡単なことではない。この人口増加は、主として、東南アジア、中国、アフリカなどの発展途上国においてである。
 この発展途上国の経済が向上することは確実なようである。人々の生活が向上すると食生活が変わる、どう変わるかと言うと、肉食が増加する。1キロの肉を生産するには、必要な穀物は、次の様になるという。

  ニワトリ・・・ 2キロ
  豚肉・・・・・ 4キロ
  牛肉・・・・・ 7キロ

だから、人口増加と同じ比率で食糧が増産されただけでは駄目で、比率より高かく増産されなければならない、というのである。

しかし、こうした学者の報告にも疑問がある。ブラジルの牛肉生産は、世界有数であるが、牛の飼料として、穀物は使っていない。ほとんど100%牧草での飼育である。この報告は、どうなるんだと言いたい。としても、食糧の増産の必要は変わりない。
◎近代農業では、莫大な石油エネルギーを使用する。トラクターで、耕耘するのも、種子を蒔くにも、中耕するにも、肥料をまくにも、消毒するにも、収穫するにも、石油である。更に、農業機械、肥料、農薬を作るにも石油が必要である。
適当な表現かどうか、農産物生産に使用される石油関連エネルギー100で、生産される農産物のエネルギーは150だと書いた本もあった。ということは、近代農業は、莫大な石油の投入によって成立しているわけである。石油は、効率のよいエネルギーであるが、地球温暖化、埋蔵量の限界、供給地域の政治的不安定の問題を抱えている。こうした不安定な石油に依存している近代農業が将来も頼りになるのか心配である。

◎叉、近代農業は、多量の肥料の投与で成り立っているが、その結果、土壌の疲弊が報告されており、灌漑の普及によって、地下水位が低下して、もうこれ以上の農産物の増産は限界にきている地方もあるという報告もある。
◎地球の温暖化のために、各地で、気候の高温化、雨量の偏在で、農業が今までのように出来なくなっている地域も報告されている。
◎遺伝子交換作物で知られている育種技術による新しい種子に期待したいのであるが、遺伝子交換作物で、生産費の軽減はできるが、増産には、あまり期待できないようである。
◎世界の穀物生産量の増加が、単収の増加と二毛作などの作付強化によってもたらされる可能性がある。これには、農地の所有形態の改革、農民の教育水準の向上が必要であり、これは容易なことではない。
◎人口が増加し、食糧の増産が必要になると言うなら、その分、農地を増やせばいいのである。

ブラジルの農地拡大
しかし、世界地図を見て、農地化可能の未開地を見てみよう。アフリカは面積は広いが、砂漠化がすすみ、多くの国で雨量が少ない。オーストラリアは、旱魃が深刻で、労働力が不足しており、有望なのは、どうしてもブラジルだけである。
そこで、先ずブラジルの国土の利用状況をみたい。

 

森林 444.0 百万ha  53%
 
未開発のセラード  140.0 17
 
牧草地 177.0 21
 
農地  41.8  5
その他 42.9 5
 
国土面積 845.7  100


次に、ブラジルの農地化可能の未開地の大部分を占めるセラードと言う地域について、解説しよう。
セラードの開発については、日系では、ミナス州のサン・ゴタルドやカルモ・デ・パラナイーバ地区の開発で有名である。
少々、専門的になるが、土壌の性質を考える時、土壌の化学的、物理的、生物学的に考えることができる。
先ず、セラードの土壌の化学的性質からみよう。

   「酸性度」・・・強酸性
   「チッソ」・・・含有度・低い
   「リン」・・・・含有度・最小
   「カリ」・・・・含有度・低い
   「有機質」・・・含有度・高い

これから見ると、セラードの土壌は「強酸性」「りん・含有度・最少」といった片寄った性質の土壌で、特に、この酸性度では、大概の作物は成長しない。
次の物理的性質と生物学的性質の改善は、土壌の耕耘・深耕によって可能である。
こうした事を考え、開発を進めた結果、サン・ゴタルドでは、「大豆の収穫は、1年目は平均1ヘクタール、15俵で、年々増加し、6年目には,40俵であった。7年8年目には、北パラナなみの60俵になるだろう」と言うお話を聞くことが出来るようになった。

そして、この「北パラナなみ」が重要です。「北パラナなみ」と言うのは「テーラ・ロッシャなみ」ということであり、テーラ・ロッシャという土壌は、「ウクライナの黒土」と共に、世界一級の良い土壌のことです。
このサン・ゴタルド、カルモの成功は、広大なブラジルの農地化可能の未開地の開発に、希望を与えるものであります。
しかし、もしも、こうした開発が行われて農産物の増産が出来ても、貿易相手は主として、日本、中国、アジア諸国であり、その輸送手段に問題がある。
一つは、パナマ運河である。アジアと大西洋沿岸との貿易量の増大で、既に、限界にきており、叉、船の大型化が進んでおり、パナマ運河は、幅32メートルまでであり、この大型化に、応じられる様、運河の拡張が期待されている。
また、ブラジルの農業が大西洋から、奥地に、離れてくると、生産物の陸路、大西洋までの運搬距離の増大から、アンデス山脈を横断する交通手段も、必要になってくる。

今後、ブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国(BRICs)の経済規模が、目覚ましい勢いで発展し、2039年には現在の主要先進国7カ国(アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、カナダ)の経済規模の合計を上回るというのである。更に、また、2050年の国別の経済規模は、下記のようになるだろうと言うのである。

    2050年    現在

一位  中国     アメリカ

二位  アメリカ   日本

三位  インド    ドイツ

四位  日本     イギリス

五位  ブラジル   フランス

 

ブラジルの鉱物資源

ブラジルは、世界の中でも、鉱物資源が豊富な国として知られ、「出ない鉱物はない」といわれるほどの資源大国なのである。およそ72種類の鉱物資源を算出する。(次の表を参考にして下さい)

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このブラジルの鉱物資源の中で、特筆すべきは、鉄鉱石の生産である。このブラジルの鉄鉱石の輸出は、オーストラリアの鉄鉱石の輸出と世界第一を競うものである。その主な輸出先は、中国、日本、ドイツ、フランス、イタリア、韓国などである。中国への輸出は突出している。

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ブラジルの鉄鉱石は良質であり、大量に産出するのであるが、製鉄には、石炭が必要である。ブラジルは、その石炭の産出がないと言ってよい程に少ない。その上、質が悪い。大部分のブラジルの製鉄業は輸入の石炭に依存している。ブラジルの鉱物資源の中で、世界の生産の約半分を占めるタンタルと世界でブラジルだけで産出するニオブについて説明しよう。

タンタルは、昔は、白熱電球の光源(フイラメント)に使用されたが、タングステンに取って代わられた。しかし、現在、最もよく利用されるのはコンデンサドールである。タンタル・コンデンサドールは、小型で、優れているので、コンピューター、携帯電話に多く使われている。又、人体に無害な金属のため、人口骨、義歯の材料に使われている。ニオブを混ぜた鋼材は、耐熱性に優れ、衝撃にも強いので、スペース・シャトルや石油のパイプ・ラインに使用されている。伝導材としても優れているので電気磁石のコイルにニオブ・チタン線が使われます。またガラスにニオブを混ぜると、屈折率が大きくなるので、眼鏡やカメラのレンズを薄くすることが出来ます。

 

ブラジルの自動車産業

ブラジルといえば、人々が連想するのは、アマゾン河であり、サンバである。少し経済を考える人でも、大豆を考え、鉄鉱石を考えます。しかし、ブラジルはこうした天然資源に頼っているだけの国ではない。その第一が自動車産業である。2010年の統計によると、主要各国の自動車生産台数は次のようである。

一位 中国    1826万台

二位 日本     963万台

三位 アメリカ   776万台

四位 ドイツ    591万台

五位 韓国     427万台

六位 ブラジル  363万台

世界第六位の生産をするようになっている。アメリカ発金融危機に際して発した諸政策、例えば、月賦販売の実施、その利子の低減、IOF、IPIの減税などで、販売価格引き下げで、売上増に寄与した。ブラジルの自動車販売台数は、中国、アメリカ、日本、に次ぐ、世界第四位の市場に浮上し、いまなお、増加を続けている。その結果、大都会に、大きな交通渋滞をもたらしている。

 

 ブラジルの航空機産業

2007年2月、日本航空(JAL)が、ブラジルから航空機を10機購入する、と言うニュースが流れた。つづいて、日本の国内航空会社のフジ・ドリーム・エア・ラインズもブラジルから2機導入すると言う話が伝わってきた。日本の人は、耳を疑った。「ブラジルから、えっー。間違えじゃないか?」今でもそう思っている人さえいるのではないか。これは、日本の人ばかりではない。コロニアにだって、そう思った人もいるに違いない。

ブラジルの航空機製造会社のエンブラエルは、エアバス、ボーイングに次ぐ、世界第三位の巨大会社であり、空軍機としても、世界20カ国以上の空軍に採用されている。ブラジル最大の輸出メーカーである。ブラジルの鉄鉱石の輸出は世界一であるが、この鉄鉱石の輸出総額の半分をエンブラエル一社だけで稼ぎ出す巨大企業である。軍用機は、とにかく、人々の航空機の利用は、これから増大の一途を辿ると考えられ、航空機製造の仕事は、大変に有望な仕事と考えられる。

次の私の書くことは、「葦の髄から天井を覗く」の江戸イロハ・カルタの言葉を引いた誹りをうけそうである。このカルタの言葉の意味は、狭い知識、経験から大きな問題を判断する危険性を教えたのである。それを覚悟しながら、筆を進めたいと思う。「のうそん」第252号の南さんの随筆の中に、ブラジリアから、忘年会に出てこないかという、招待を受けた。ブラジリアと私の住む町は1500キロメートルの距離がある。でも家内と一緒に参加した」という意味のことが書いてあった。

この間、サンパウロの力行会の集まりに、クリチーバの会員が参加した。「遠くから、ご苦労様です」と言うと「いや、一時間で来れますよ」とことなげの返事であった。リオの友人は、飛行機で、サンパウロへ、毎日、日本食品の買出しに来ていた。友達が訪日した。だが、訪日すると言う挨拶は無かった。無論、餞別はあげなかった。一昔前は、訪日挨拶を新聞広告をして行った人もあったくらい大事であった。いずれも、飛行機を使ってのことである。私の身近な人が気軽に飛行機を使うようになってきている。

私は、ガルーリョス国際空港ができる前から近くに住んで、その歩みを身近に見てきた。滑走路のある所に、子供たちが通った小学校があったし、何人かの知人は、飛行場建設のために、立ち退きをせざるをえなかった。私の家は空港の金網柵から200メートルぐらいのところにあった。ガルーリョス空港は、ズットラ街道(サンパウロとリオを結ぶブラジルの幹線街道)から脇道,約5キロのところにある。この道は空港ができた当時は二車線であったが、最近交通量は増えたのか一部、三車線となった。ガルーリョス空港の専属の駐車場は、相当に広いものであるが、最近は、駐車の場所を探すのに苦労するようになってきた。そうしたら、ズットラ街道の入口近くに、駐車場が二つできた。両方とも、始めは小さかったが、段々、大きくなった。そして遂に、四階建ての大きな駐車ビルを作ってしまった。

飛行機による旅行が身近になってきている、近くではサンパウロからカンピーナスまで、約百キロメートルに定期便が飛ぶようになってきた。(次号に続く)

 


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この記事は 「のうそん252~254号」(日伯農村文化振興会発刊)より、同誌と筆者の許可を得て転載しました。  ( Trabras )  

     

 

 


 

 

 


 

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