眞砂 睦
オリンピックを2か月後にひかえて、ブラジルが混乱しています。
5月12日、上院での弾劾決定を受けて、現職のルセフ大統領が以後最長180日間の停職に追い込まれたのです。それを受けて、メテル副大統領が大統領代行となり、暫定政権が発足しました。
その後の弾劾裁判で上院の3分の2以上の賛成があれば、ルセフ大統領は「罷免」されます。地元メデイアはその可能性は大きいと報じています。その場合、メテル副大統領が昇格して、次期大統領となるわけです。いずれにせよ、今回の五輪は国の元首が不在のなかで開催されるという、前代未聞の大会となりそうです。
大統領弾劾の理由は、与党・労働者党の支持基盤である、圧倒的多数の貧困層への過剰なバラマキ政策で引き起こされた財政悪化を隠すために、政府の支出を政府系金融機関に肩代わりさせるという「禁じ手」を使ったことにあります。連邦会計検査院の報告で、この財政操作が公にされました。
しかし、財政の粉飾だけが問題なのではありません。国営石油会社・ペトロブラスを舞台とするおおがかりな汚職事件が発覚したのです。世界の石油メジャーでも5本の指に入る巨大国営企業が、建設業者などと水増し契約を行って、その見返りに建設会社などから賄賂を受け取り、それを政界に裏献金をしていたというのです。与党・労働者党が政権をとった2004年から2012年の間の水増し額は21億ドル(およそ2300億円)にのぼると言われています。既に、労働者党のドン、ルラ前大統領時代の幹部を含め140人以上が贈収賄の罪で逮捕されています。
そこに追い打ちをかけたのが経済の不振です。世界的な資源価格の下落やインフレの昂進、最大の貿易相手国・中国の景気減速、さらにはアメリカの利上げの懸念などから、
個人消費の減退・外資の流出による投資減・輸出減などが重なって需要が落ち込み、昨年の国内総生産(GDP)は3.8%のマイナスとなりました。政権担当以来、インフラの整備や民営化の徹底といった成長政策を実施してこなかった与党の「不作為」に対しても、国民はうんざりしていたのです。なかでも税負担が大きい中間層は生活が圧迫され、不満がつのっていました。そんな中での政府がらみの大規模な汚職事件です。ルセフ大統領の支持率は10%近くまで落ち込みました。
忍耐の限界にきた怒れる中間層や若者が、「ルセフ大統領追放」のかけ声のもとに全国的な街頭デモに打って出ました。3月13日には全国で360万人にのぼる過去最大の反政府デモが組織され、ついに連邦議会を動かして「大統領弾劾」に至ったのです。
振り返ればこの国は1992年、時の大統領コロル氏が汚職の罪で職務停止となり、議会で弾劾裁判が始まる前に自ら辞職をするという経験をふんでいます。その時も汚職追放を叫ぶ国民の大規模なデモが、大統領を辞職に追い込んだのです。
そして今再び汚職がらみの大統領弾劾が決まったわけで、20数年ぶりの「先祖帰り」となってしまいました。人間というのはなかなか進化しないものです。
ところで、ここでひとつ無視できない大事なことがあります。
それは、武力による反乱などでなく、あくまで合法的な手順を踏んで、この国の有権者が「声をあげる」ことで、強大な権限を持っている大統領を「弾劾裁判」や「辞任」に追い込んだという事実です。
汚職や財政操作はいただけないものの、それを浄化するために「民主主義という土俵」のうえで、法の定めるルールにのっとって、国民の声が大統領をすげかえたのです。
これは凄いことです。
同じBRICSの大国でも、共産党独裁国家の中国や、強権大統領専横のロシアなどでは起こり得ないことです。「国のトップをすげかえろ」などというデモはたちまち弾圧されるでしょう。
また、議員内閣制をとる日本では、総理大臣といえども政党の親分という性格が強く、国のリーダーというよりも政党の中に埋没してしまっているため、ブラジルのように「国民の声」が総理大臣を変えることがあっても、国の政治はなかなか変わらない。
日本は独裁政治も難しいが、政治を変えることも難しい国なのです。
思えばブラジルは1985年、平和裏に軍事政権から民政に移行しました。この民政移管を速めたのも「早く選挙を」という国民の声でした。そして、その「国民の声」が不正をはたらいた大統領を2度にわたって弾劾裁判や辞任に追い込んだのです。
民政に復帰して30数年、南半球の大国・ブラジルは、時には先祖帰りを繰り返しながらも、ゆっくりと独自の民主主義を熟成しつつあると言えましょう。
(了)