早稲田大学文化構想学部社会構築論系 毛利健人
Ⅰ.はじめに
ブラジルに初の日系移民が渡ってから、今年で106年になる。この1世紀以上に及ぶ歴史の中で、日系移民の先人達は苦労しながらブラジルに根を下ろし、その発展に貢献を果たしてきた。
筆者は2012年9月から2013年8月までの11ヶ月間、ブラジル日系人向け邦字紙「サンパウロ新聞」で記者研修を行った。現地では取材を通して多岐に及ぶ日系人の活躍を目の当たりにし、また現地の日系社会には公私共々多大なお世話になった。
同時に日々日系社会と接して感じたのは、昨今の日系社会の衰退ぶりだ。既に新規移民の流入は長らく途絶え、また日本生まれの日系一世の多くは高齢となっている。私が勤めたサンパウロ新聞でも、日本語が読める日系人が減少し、また日系社会が縮小化する中で苦しい経営が続いている。日系人が、世代を経るにしたがって日系社会というものに参加しなくなり、ブラジル社会に溶け込んでいくのは致し方ないことである。これは決して悪いことではない。
だが、現状日系人の同化が非常に早いスピードで進んでおり、近い将来には日系社会があったという痕跡すら残らない状態になってしまうかもしれない。ブラジルという国は移民国家であり、多民族が互いに尊重し合いながら、その多様性をアイデンティティとして受容してきた国だ。これまで農業など様々な分野で日系人は貢献を果たしてきたが、この先日系人としてブラジルへの貢献が果たせなくなってしまうのは、日系人にとってもブラジルにとっても、さらには日本にとっても不幸なことではなかろうか。
私がこのような問いを持ちながらブラジル各地を取材に行って目に焼き付いたのは、どこでもある日本人会、そして教育に力を注ぐ日系人の姿だ。とりわけ、彼らがブラジルに持ち込み、これまで辛抱強く続けてきた日本語教育は、日伯交流の推進、ブラジルの国際化等にこれまで大いに貢献を果たしてきた。だが、残念ながら日本語教育もまた日系社会同様、現在下火の傾向にある。
今まで日系人の継承教育の意味合いが強かったこの日本語教育を、今後発展させることができたならば、日系社会が、そして日系人がブラジルに多大な貢献を果たし続けられるのではないか。そう思い、邦字紙記者として各地の日本語学校を取材に訪れながらブラジル日本語教育の可能性を考えたのが、本論執筆の契機である。
本論ではまず、ブラジルにおける日本語教育の歴史や現状を、文献及び現地調査によって明らかにし、続いて他国語教育の状況やブラジルの学校カリキュラムを比較し、最後に現在進行形の事案も含め、今後日系人や日系社会などがどのすれば日本語教育を発展させられるのか、私の考えも含めながら論じていきたい。
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