中南米はなぜ核放棄を実現できたか

                                                                                                                                                                                                                                                       眞砂 睦

  米ソ冷戦時代まっただ中の1962年、キューバの基地にソ連が核弾頭搭載可能なミサイルを強行搬入しようとしていることを察知したアメリカは、ソ連船の海上封鎖を断行した。米ソが互いに一歩もひかない対決となり、あわや核戦争かという一触即発の危機に世界は震撼した。

結局、ケネデイ大統領とフルシチョフ首相のぎりぎりの交渉で、土壇場でソ連がミサイルの搬入を断念、核戦争は回避された。いわゆる「キューバ危機」である。
核の恐怖を身にしみて感じた中南米諸国はすばやく反応した。1967年、中南米
14ヶ国が「中南米・カリブ核兵器禁止条約(トラテロルコ条約)」を締結、地域の非核化を宣言した。キューバ危機から5年後のことである。
 ところがこの条約を批准しない2つの大国があった。ブラジルとアルゼンチンだ。
当時、両国とも軍事政権下にあり、キューバ危機以来、秘密裡に核兵器を開発していると見られていた。この両国は積年の仮想敵国同士。互いに相手が核を放棄しない限り片方が捨てるわけにいかないため、条約の批准ができなかったのだ。
 その後、ブラジルは1985年に軍政から民政に移管、キューバと国交を回復した。続いてアルゼンチンも民政に移ったことで2国間の緊張関係も緩和され、1988年にブラジルが核開発の放棄を宣言した。アルゼンチンもそれに応じ、1990年に両国大統領が「核兵器の生産・実験を禁止する」共同宣言を行うことにこぎつけた。
 1991年には、原子力施設と保有する核物質のリストを交換、互いの核施設の視察も実行した。そして1994年、ついに両国はそろって「トラテロルコ条約」の批准を実現したのだ。
 国境を接する隣国どうしの関係は難しい。しかし、南米の積年のライバルは対話の積み重ねを通して互いに心を開いて懐を見せ合うまでの信頼関係を築き、中南米という広い地域に「核武装なしの平和」を作りあげたのである。
 他方、唯一の被爆国・日本はどうか。東アジアで核武装ぬきの平和を構築するのは格段に難しい。中南米とは違って、私たちは価値観や文化を異にし、核兵器の開発増産に邁進している力自慢の大陸諸国にとり囲まれている。そのうえ米中冷戦が厳しさを増すなかで、日本列島は米国が対峙する仮想敵国との最前線に押し出されてしまった。
加えて日本は現状、米国の核軍事力の後ろ盾なしでは国の安全を確保することが難しいという現実もある。
一筋縄ではいかない相手ばかりだが、それでも私たちは東アジアの平和を守るための現実的な一致点を見つける努力を続けるほかない。            (了)(2018年12月「紀伊民報」掲載記事)